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                                     法治体制の復活?

 

 

 

 

 

・肖揚時代の継承?

 2013年3月15日に開催された第12期全人代第1回会議で、周強・前湖南省党委員会書記が、最高人民法院院長に選任されました。同時に選ばれた最高人民検察院検察長は、曹建明検察長が留任しました。この体制は、人脈的にみると、第9、10期全人代期間中の肖揚院長時代を継承するもののように見えます。

 

 周強院長の経歴

 1960年生まれの周強は、1978年に西南政法学院に入学した、いわゆる「花の78年組」のひとりです。中国の大学の法学部卒業生としては、人民大学法学部卒の肖揚院長に続く、ふたりめということになります。肖揚は院長に就く前、司法部長を1期務めていますが、そのうちの一時期、周は彼の秘書を務めていました。

 周はその後、共産主義青年団の第一書記を経て、湖南省党委員会書記に就いています。湖南法治建設を指導し、中央指導層きっての法治派として知られています。

 

 曹建明検察長の経歴

 1955年生まれの曹建明は、1979年に上海の華東政法学院に入学して国際法を学び、大学院の修士まで進んで、そのまま教職に就き、教授にまでなったアカデミズムのひとです。1997年に学院長になっていますが、1999年に最高人民法院副院長に抜擢されました。2008年に最高人民検察長に選ばれ、今回の再任となりました。

 ただし2013年10月には、党の規律検査委員会による調査を受けた、との情報が流布され、その去就が注目されています。

 

・司法の再建はなるか?

 2012年の第18回党大会では、中央政法委員会書記のポストが、中央政治局常務委員会から降格され、注目を集めました。これは胡錦濤政権時代に、大公安体制が復活した影響で、司法の権力が弱体化し、法治を後退させる結果となったことへの反省と受け取られていました。そこで、今回の全人代における人事では、誰が最高人民法院の院長と最高人民検察院の検察長に選ばれるのか、非常に注目されていたのですが、ひとまずはベストの回答が出されたものと評価されています。

 2010年に、省級公安局長が政法委員会書記を兼任していた体制を改めたことを転換点として、法治の回復に向け、人事面では着実に環境整備が進んだことになります。

 中国の司法改革は肖揚院長の時代に、ひとつのピークを迎えました。彼が第1期目に実施した「人民法院5年改革綱要(1999~2003年)」と、2期目に実施しようとした「人民法院第2次5年改革綱要(2004~2008年)」は、「裁判の独立」という目標を掲げた、きわめてラジカルな内容のものでした。

 第1期の改革に不満を抱いていた中央政法委員会は、第2期の「改革綱要」に介入し、その実施に待ったをかけました。中央政法委員会は2003年に、中央司法改革指導小組を設置して、自ら指導に乗り出したのですが、それは最高人民法院の改革にタガをはめるのが目的でした。

 中央司法改革指導小組が、「司法改革」の名のもとに何をしてきたかは、2012年10月に国務院新聞弁公室が公表した白書、「中国の司法改革」に記されています。この白書と、「人民法院5年改革綱要」 とを読み比べれば、その方向性の違いは明らかでしょう。

 以上のような背景から、今回の人事は、胡錦濤政権第2期に行き過ぎた「反法治」の流れを反転させ、肖揚院長時代の司法改革路線を継承するための準備のようにも見えるわけですが、はたしてそうなのでしょうか。

 2013年1月の中央政法委員会会議は、悪名高い労働矯正制度の運用を年内に停止すると公表し、ひとまずはその期待にこたえるかのような一歩を踏み出しましたが、今後具体的に、そうした期待に応える成果をあげていけるか、大いに注目されるところです。

 

 

*関連参考ページ 

  法院は“なぜ”信頼されていないのでしょう

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