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                   公安局長兼任体制の解消が意味するもの

 

 

 

 

1.政法委員会書記と公安局長との兼任を解消

  2010年4月に中国共産党組織部は、省級の党政法委員会書記が公安局長を兼任してはならないとする通知を出しました。これ以降、兼任体制は順次解消されており、2012年の党大会までには一掃されるものとみられています。

  これだけでは何のことかお分かりにならないかもしれませんので、その意味するところについて、以下に説明します。ただしその前に、党政法委員会がどのような組織であるかについて、「中央政法委員会は司法の元締め」を参照し、予習してください。

 

2.改革・開放後の司法改革

  「法院は“なぜ”信頼されていないのでしょう」で述べたたように、改革・開放政策が始まってから司法改革の基本方針として、鄧小平は公安、検察、法院の相互チェック体制を回復することに力を入れ、文革時に肥大化した公安機関の権限を、段階的に縮小していきました。中央政法委員会書記に党内地位の高い幹部を任命し、公安部長にはそれよりも低い地位の幹部を任命する、という手法も定着しかけていました。こうした方向での改革がひとつの完成形に達したのは、第14回党大会のときです。このときはじめて、最高人民法院院長が中央政法委員会書記を兼任するという体制が形成されています。

  ただし、政法委員会書記と公安機関責任者の兼任体制が解消されたのは、中央と省級くらいの話で、それ以下の地方、とりわけ地区級以下になると、兼任体制はしぶとく残存していたと見られています。

  15回党大会後の人事で、このような中央政法委員会書記と最高人民法院院長の兼任体制がとられなかったのは、最高人民法院院長に就任した蕭揚が、地方幹部から中央に昇任した時期が遅かったため、中央政法委員会書記を兼任するには党内地位が少し低かったため、と言われています。

 

3.「大公安」体制の復活

  しかし、このような改革の方向性は、胡錦濤体制の成立によって逆転します。中央政法委員会書記には羅幹が再任されたものの、胡は公安部長に政治局委員の周永康を任命しました。また最高人民検察院検察長には、公安部部長だった賈春旺を充てています。この人事を機に、地方公安機関責任者のポストが昇格するとともに、政法委員会書記との兼任体制への移行が始まったのです。

  2003年11月に開催された第20回全国公安工作会議は、こうした方針を確認し、「公安機関をさらに強化、改善するについての決定」を通知して、順次この方針に沿った人事を実施するよう指示しています。

  その結果、胡錦濤体制2期目には、「大公安」体制が復活することになりました。公安部長だった周永康は中央政法委員会書記に転任し、最高人民法院院長に公安関係出身の王勝俊*が就任したため、中央政法委員会メンバーの大半が、公安関係者で占められる事態になったのです。

  党政法委員会書記が公安機関責任者を兼務するという人事の方針は、党と国家機関の職を兼務させるという、胡錦濤体制での基本的な人事方針に従うものでもあったのですが、政法委員会が法院、検察院、公安機関などの司法関係機関を一括して指導する党機関であったため、兼務体制がもたらした弊害は少なくなかったと言えるでしょう。

  ところが、2010年4月に党組織部は突然、省級の政法委員会書記が公安局局長を兼任してはならないとする通知を出したのです。これ以降、兼任体制は各地で順次解消されており、来年の党大会までには一掃されるものとみられています。

 

4.反省はあったのか

  さて、それでは、この通知の意味はどう理解すべきなのでしょうか。

  まず、書記=公安局長の兼任体制がもたらす弊害について、その反省から方針転換がはかられた、という見方がありえます。

  弊害の典型的な事例としては、法院の判決に対し、政法委員会が介入して、その変更を強要したり、あるいは一方的に取り消したこともあり、その事実が露見して社会から厳しく批判されたことも、何度かありました。これは、判決に不満をもった公安機関が、政法委員会を通じて圧力をかけたせいだと見られています。司法の機能不全を改善できない根源のひとつが、このような政法委員会の存在であるとの認識は、広く共有されるようになっています。

  2010年にブームを巻き起こした「俺の親父は李剛だ」の事件も、「大公安」体制の現状を象徴する出来事と受け取られました。

  近年、各地で続発している大規模な社会的騒乱も、公安機関の対応に対する不満が誘発ないし大規模化を助長している面があり、「和諧社会」実現のために取り組まれた治安管理体制の強化が、裏目に出ているという部分も否定できません。

  しかし、仮に反省をしたとするなら、兼任体制の解消が省級だけ、というのはどうしてなのでしょう。本格的人事改革は次政権に先送り、ということなのでしょうか。

  あるいは、そうした反省とは関係なく、たんに党と国家機関の職を兼務させるという人事方針に、これを見直そうという動きがあり、これもその一環にすぎない、という見方も考えられます。

 

5.党・国家兼任体制の見直しも

  党と国家機関の兼職問題のなかで、とりわけ重要と考えられるのは、各地方党委員会書記が同級人民代表大会常務委員会主任を兼任していることです。ただし、これについては具体的な規定などはなく、上述した人事方針にもとづいて実施されているにすぎません。したがって全国一律ということではなく、おおよその傾向として指摘されている問題です。安徽、江蘇、湖北などのように、明確な規定を定めている省は少数ですが、武漢、西安、厦門、寧波の各市のように、規定はないものの、一律に兼任するとしている地方もあります。

  ですがこの数年は、この方針を見直す動きが、徐々にではありますが、拡大しています。四川、湖北、陝西などの各省、広州、深圳、杭州などの各市は、すでに兼任体制解消の方針を明確にしています。

  本題の政法委員会書記兼任問題についてみると、これを見直す動きが省以下の地方にも拡大する兆しが見えており、たとえば深圳市では、市内の区について兼任を廃止するという方針を出しています。ただし、この動きがどこまで拡大するかについては、もう少し時間をかけてみていく必要があるでしょう。

  また、2011年11月には四川省で劉玉順省高級人民法院院長が、省政法委員会書記に選任されました。この人事は、まさしく「大公安」体制からの転換を示すサプライズ人事として、関係者のあいだでは評判になっています。

  いずれにせよ、次の政権がこの問題にどのような手を打つか、司法改革の動向を検証する意味でも、きわめて注目されるところであることは間違いありません。

 

   * 王勝俊は安徽省の公安庁長だったが、中央の公安部に所属したことはない。中央では、中央政法委員会の秘書長を務める傍ら、党の社会総合治安

   管理委員会副主任を兼務していた。

 

 

 

 

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