中国法入門
田中信行研究室
中国法について知ろう
西政現象はいつまで続く
Q.現在、最高人民法院には8名の副院長がいますが、そのうちの4名は同じ大学の出身者です。さて、その大学とはどこでしょうか?
こんな質問に答えられるのは、おそらく中国在住の法律関係者だけだと思いますが、その答えは、西南政法大学です。さらにもうひとり、同大学の修士号を得ている副院長を加えると、5名が同窓ということになります。このことに、さして深い意味があるわけではありませんが、中国の法律分野ではいま、西南政法大学の出身者が重要ポストを席巻しているのです。ちなみに、最高人民検察院には7名の副検察長がいますが、そのうちの2名は同大学の出身です。
西南政法大学は、中国で4番目の直轄市となった重慶市(それ以前は四川省に所属)にある法律専門の名門大学です。建国直後の1952年に実施された大学再編で、西南人民革命大学法政学院をもとに、重慶大学、四川大学法政学部、重慶財経学院、貴州大学、雲南大学の5つの大学の法学部を合併し、1953年から西南政法学院として再スタートしました。
文革期には全国の法学教育が停止状態に陥りましたが、西南政法学院は1977年にいちはやく再開されました。1978年には国家重点大学に認定され、400名の学生を募集しました。当時、司法部に所属していた5つの政法学院のうち、国家重点大学に認定されたのは、同大学のみでした。1995年に現在の西南政法大学と名称を改めています。
このような歴史的経緯が示しているように、文革直後の法学教育において、西南政法大学は最前線に躍り出たことにより、全国から優秀な人材を集めることができたのです。とりわけ、1978年に入学した同級生は、「花の78年組」と言われ、近年、その活躍ぶりが注目の的となっています。ちなみに、上記副院長のうち2人も「花の78年組」ですし、西南政法大学に限らなければ、6人が1977、78年の大学入学組です。
この時期の入学者は、高校を卒業したばかりの者だけでなく、文革期間中に大学へ行くことができなかった卒業生たちもいっせいに大学へ押しかけたため、非常に合格者のレベルが高くなっています。その人たちが卒業してから、ほぼ30年がたち、50代になって要職に就くようになってきたことが、こうした現象を引き起こしているわけです。
西南政法大学の出身者で、それぞれの法律分野で中心的な役割を務めている著名な法学者を、思いつくままあげ
てみると、以下のようになります。
民法学 : 梁慧星(法学研究所)はじめ、徐国棟(アモイ大学)、張新宝*(人民大学)、伊田(北京大学)
商法、経済法 : 王衛国(政法大学)、趙旭東*(政法大学)
民事訴訟法 : 張衛平(清華大学)、陳桂明*(政法大学)
刑事訴訟法 : 譚世貴*(海南大学学長)、左衛民*(四川大学)
法理学 : 卓澤淵*(西南政法大学)、許章潤*(清華大学)
*は全国青年法学者トップ10に選出された者
なるほど、と感心する顔ぶれですが、このほか全国最年少省長となった周強湖南省省長などもいて、まさに多士済々というほかありません。こうした状況を、西南政法大学の関係者たちは、「西政現象」と呼んで、自慢しているのですが、はたしてそれはいつまで続くのでしょうか。
というのも1983年には、「法律教育の最高学府をつくれ」という鄧小平直々の肝いりによって、北京政法学院と中央政法幹部学校を合併した中国政法大学が設立されたからです。したがって中国政法大学は法律専門の大学とはいえ、最初から規模の大きさを誇っていましたが、2000年には中央政法管理幹部学院も吸収して、今や在校生1万2000人を擁し、法律関係の就業者のうち10人に1人は同大学の卒業生といわれるほどになっています。
そのうち、「西政現象」が「政法現象」にとって代わられる日が来るのかもしれません。
【参考資料】
有感于西政“60年”
法制日报记者 蒋安杰
西政即将举行60周年庆典,法学界早已尽人皆知了,自然众说纷纭。
就此,人大的一位教授曾对我说,如此推算,我们人大岂不是可以从陕北公学算起?四川大学里赞教授考证,川大法科源于1903年设立的课吏馆及随后的仕学馆。西北政法大学的王健教授更是进行了认真的考证,按照他的理论,“整体说”的西政校史可以从1953年算起,“起点说”的西政校史从1952年算起比较恰当,对于“西政校史60年”之说,他很是有些困惑,专门撰写了一篇比较完整的文章“西政的校史及其他(见本刊10版)”,文章中他很幽默地谈到,西政的前身是1950年成立的由刘伯承元帅担任校长的西南人民革命大学,西政的首任校长应该是刘伯承大元帅。
提及西政60年,就不由得让人想起2003“西政50年”曾经带给我们的印记。对此,北京的几位西政校友也颇有微词。有校友说,他们不太愿意把校史改为1950年,因为与革大的关系走得太近了;也有校友说,2008年刚搞完55年校庆,2010年又搞60年校庆,时间的跨度有点大。
虽说宋子祥老师作为当时政法系筹备主任很坚定地认为西政成立于1950年“有据可证”,但这样的一个时间突破尺度总不免让人有些谈资。
西政校方究竟出于何种考虑作出这样的决定,这也是本报记者想对西政张国林书记进行采访探个究竟的缘由,将“刨根问底”进行下去。
后来,很偶然的机会听说西政某校友会为母校60周年庆典集资几百万元的消息,我就觉得这种提问毫无意义了。西政历来以中国法学界的“黄埔军校”之称笑傲江湖,精英荟萃,人才济济,难道人家西政校友不比我们更关心自己母校的“生日”吗?人家校友为何一听母校60周年校庆立马捐款?这是因为“50年建校也好,53年建校也好”,这都不是个事儿。西政人有这个传统,有这个精神,只要母校好,怎么都好!
不信问问自己,你能说出自己母校78级、79级有哪些校友、哪些师哥师姐在哪里从事哪些工作吗?人家西政人,对贺卫方、梁治平、梁慧星、蒋庆、夏勇、龙宗智、周强、张卫平、尹田、邱兴隆、顾培东、王卫国、许章润、江山等校友的名字可以倒背如流。再看中国日报网的消息,从2009年至今,最高人民法院、最高人民检察院多个副职,各地高级人民法院、省级人民检察院、公安厅(局)、司法厅(局)多个正职,其中多人曾就读于西政,在最高法9名现任副院长中,江必新、苏泽林、南英、景汉朝,西政的校友超过一半;在最高检,朱孝清副检察长、柯汉民副检察长也是西政校友。
何谓“西政现象”?就是指地处西南一隅的一所法律专门学校,培养的学生却在法学界、实务界有着相当大的影响,西政培养出的著名校友(排名不分“轻重大小”)在法学界和实务界的影响给人一种群星灿烂的感觉。
“西政神话”并不是个传说。仔细分析,也许60周年校庆“意在过去,实指当下”,用意很明确,重振旗鼓抓住契机,让西政精神的传承更久远……
『法制日報』2010年4月14日
周強湖南省省長 譚世貴海南大学学長
人民大会堂大会議場で開催される全国人民代表大会
最高人民法院
2015年6月11日に、第1審判決を受けた周永康
人民大会堂大会議場で開催される全国人民代表大会