top of page

                                   大法官の高笑い

 

 

  

 

                       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 写真は、2008年3月11日付『南方日報』の紙面の一部です。大きく口をあけて笑っているのは、当時まだ最高人民法院院長の座にあった蕭揚氏です。威厳を重んじなければならない首席大法官*の地位にありながら、はしなくも公衆の面前で、大口開けて高笑いした瞬間をバッチリ撮影され、「仰天長笑」として同紙に掲載されてしまいました。それで済めば、地方紙の紙面を多少和ませただけでしたが、この写真はインターネットを通じて、さまざまなサイトに転送され、全国規模ですっかり有名になってしまったのです。

 

 この写真が撮られたのは全国人民代表大会の会議期間中で、この会議をもって彼は10年間務めた院長職を退任しました。これは、彼の出身地でもある広東省代表団の会議に参加したさい、発言者のひどい広東訛りの「普通話」に思わず笑ってしまった瞬間を撮影したものだそうです。

 

 しかし、たったそれだけの理由で、多くの人がこの写真に注目したわけではないようです。最高人民法院院長が人前でこのように喜怒哀楽の感情をストレートに表現したことに驚くとともに、おそらくそれは、彼が10年に及ぶ職務の重圧から解放されたせいなのであろうという推測が、蕭院長に対する惜別の情を掻き立てたせいだと思われます。

 

 蕭揚氏は、広東省恵州市の貧しい客家の家庭に生まれたため、「平民大法官」と呼ばれています。苦学ののち、中国人民大学法学系に進んだものの、卒業後は文革の始まりによって下放され、広東省の農村で党幹部として働いていました。文革終了後、党幹部としての働きが評価され、1983年に広東省人民検察院の副検察長に抜擢されます。この人事が、彼の後半生を大きく変化させることになりました。

 

 副検察長に就任した彼は、汚職の取り締まりに手腕を発揮します。香港式の摘発システムを導入して飛躍的な成果をあげ、全国的にも注目を集めました。この活躍ぶりが鄧小平の目にも止まり、1990年、任期途中で最高人民検察院副検察長に抜擢されるという異例の人事で、中央官界に進出します。その後、司法部部長を1期務めた後、1998年に最高人民法院院長に就任したのです。中国の大学の法学部出身者として、はじめての法院トップの座に就いたのです。「平民大法官」という呼び名には、おそらく汚職の取り締まりや司法改革に辣腕をふるう蕭院長に対する、人々の期待も込められていたと思われます。

 

 最高人民法院院長としての彼は、前任者である任建新院長からの課題を引き継いで、その任期中に2つの「人民法院改革5年綱要」を定め、司法改革に邁進してきました。10年間の改革の成果は、彼が掲げた目標にはまだ遠く及ばないものでしたが、彼の奮闘ぶりは高く評価されているものと思われます。この写真には、長い間の奮闘努力に対して、「ご苦労さん」という思いが込められているのかもしれません。

 

 地元出身の「平民大法官」として、広東省での人気は相当なもののようですから、地元紙『南方日報』が、この写真を取り上げたのは納得できるとしても、それが全国に流布されて話題になったのには、ちょっと驚いてしまいます。しかし、おそらくそれは、彼が去った後の司法改革がどうなるのか、という一抹の不安感が、多くの人に共有されているからなのでしょう。たぶん彼自身は、この写真を見て苦笑いしたでしょうが、読者の方は笑うどころか、きっと複雑な気持ちになったはずです。

 

 

 *中国の裁判官は12級に格付けされ、首席大法官、大法官(2級)、高級法官(4級)、法官(5級)に分類されます。首席大法官は

    最高人民法院院長のみです。

 

   【参考文献】

   拙稿 「中国の司法改革に立ちはだかる厚い壁」、『中国研究月報』2007年4月号

 

 

 

 

bottom of page