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                            周永康帝国の崩壊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                   別名「政法王」。「康師傅」 (中国で人気のインスタント・ラーメン)とも呼ばれる。

 

 

 党の中央規律検査委員会が正式に審査を開始することを決定したことにより、周永康は建国以来、もっとも高い地位にあった党員として、汚職の罪を問われることになりました。しかしここでは、彼のそうした個人的な犯罪ではなく、中央政法委員会書記として、中国の司法を指導する立場にありながら、司法改革を骨抜きにし、中国の法治主義を崩壊へと導いた在任期間中の問題について、検討してみることにしましょう。

 

1.「大公安体制」の形成

  胡錦濤体制が成立した直後の2003年に開かれた全国公安会議は、各地方公安機関責任者のポストを1級格上げすると同時に、政法委員会書記を兼任するよう指示しました。政法委員会は、法院、検察院、公安機関などを指導する党の機関であり、このような体制の構築は、公安機関が司法全体の支配権を掌握することを意味していました。

  鄧小平時代の司法改革では、建国以来続いていた「大公安体制」を修正して、公安機関の権限を分散させ、そのポストを格下げする改革が進められていましたが、上記会議は、そうした改革の方向を根底から覆すものとなりました。

  胡錦濤政権の第2期に周永康が中央政法委員会書記任建新に就任した体制では、最高人民法院院長も公安出身の幹部が占め、中央政法委員会の主要メンバーが公安関係者によって独占される異常事態となっていました。

 

               表.政法機関のトップ人事

 

 

 

 

 

 

 

 

           注:中央政法委員会は党機関のため、その任期は他とズレている。

              赤字は公安機関在籍(経験)者。

 

2.打黒闘争の背信

 2000年代に入って中国では、全国的に〔黒社会〕犯罪組織が台頭したため、〔打黒闘争〕(黒社会犯罪組織撲滅闘争)が公安の重要課題とされるようになりました。

  〔黒社会〕とは、表向き正常な企業活動を装いながら、その裏で経済犯罪に手を染めている組織を指しますが、権力と通じ、権力側から秘かに情報の提供を受け、あるいは法的な庇護を受けていることを特徴としており、そうした権力側の協力者を〔保護傘〕と呼びます。

  腐敗した公安機関は、打黒闘争を展開する一方で、みずから保護傘となり、立場の弱い民営企業などから、保護費用などの名目で賄賂を受け取るようになります。また、そのような関係が、公安機関をさらなる腐敗に陥れていきました。「打黒とは黒打(闇の処分)である」とも言われ、多くの民営企業家が冤罪に巻き込まれる事態を招きました。

  2010年に、公安部長時代の周永康の右腕といわれ、打黒闘争の責任者でもあった鄭少東公安部長補佐(経済犯罪捜査局長)が逮捕されたことは、こうした腐敗が中央政府の中枢に及んでいたことを証明する事件となり、今回の周永康疑惑が明るみに出る突破口ともなりました。 

 

3.610弁公室の無法

  2012年に中央政治局常務委員会委員となった周永康は、9名いる常務委員では最下位の党内序列でしたが、中央政法委員会書記として強大な権力を手中に収め、「党内の第2権力」と呼ばれるほどの権力者に成り上がりました。

  中央政法委員会がそのような強大な組織に膨張した原因はいくつかあげることができますが、2008年の北京オリンピック開催前から始まり、胡錦濤政権が都市の治安対策として強化してきた「平安都市建設」政策が、公安機関の組織、装備を飛躍的に拡充させ、公安、武装警察を含む人民警察全体の力量を、人民解放軍を凌ぐともいわれるほどに成長させたことは否定できません。

  しかし、公にはあまり知られていませんが、法輪功対策として設置された「610弁公室」という機関が、法輪功信者の弾圧に暗躍したことも、見逃せない要素と思われます。

  「610弁公室」とは、1999年に当時の江沢民総書記がみずから設置した機関で、6月10日に発足したため俗にそう呼ばれているもので、正式の名称は「法輪功問題処理指導小組弁公室」といいます。党内の会議ではその設置が承認されなかったため、総書記直属の機関として活動を始めますが、次第に全国的な組織化が進み、公安機関の内部組織として定着するとともに、中央政法委員会の指導を受けるようになりました。 

  「610弁公室」による法輪功信者の取締りには、多くの場合、労働矯正が適用されたといわれています。制度的に問題を抱える「610弁公室」が、人権保護の観点から法的に厳しい批判を浴びてきた労働矯正制度を運用してきたところに、さまざまな問題を指摘される要因が存在しています。「610弁公室」の問題は、かならずしも公安機関のかかえる主要な問題に位置づけられるものではないかもしれませんが、打黒闘争などとともに、公安機関がその組織の肥大化のなかで、非正常な活動にのめり込んでいった重要な要素であることは間違いありません。

  2013年に労働矯正制度が廃止され、同年末に「610弁公室」主任だった李東生公安部副部長が罷免され、その後に党籍剥奪の処分を受けたことは、たんなる偶然ではないように思われます。

 

4.帝国の崩壊

  公安部長(中央政法委員会副書記)→ 中央政法委員会書記の10年間に築き上げられた周永康の公安帝国は、鄭少東事件をきっかけに瓦解し始めます。2010年には省級の政法委員会で、公安機関の責任者が書記を兼任することが禁止されるようになりました。

  さらに周の凋落に決定的な追い討ちをかけたのが、薄熙来事件でした。

  薄熙来は周の後任として中央政法委員会書記の座を譲り受けるべく、重慶で周に倣った公安帝国を築き、打黒闘争などの実績を積み上げていましたが、彼の右腕であった王立軍重慶市公安局長(当時)との関係を悪化させ、王局長が成都の米国領事館で亡命未遂事件を起こしたことから、数々の悪事がいっぺんに露見してしまいました。薄熙来の失脚は、その庇護者であった周永康にも決定的な打撃を与えました。

  鄭少東の摘発を断行し、公安部内にはびこっていた周人脈の一掃に力を発揮したのは、孟建柱公安部長(当時)でしたが、習近平体制が発足した2012年の中国共産党大会後に、その孟が中央政法委員会書記の座を引き継いだことは、さしもの権勢を誇っていた周の帝国にも終焉が訪れたことを示すものでした。

  孟書記の指導のもとで、現在の中央政法委員会は、周時代に捨て去られた司法改革に取り組み始めています。10月に開催予定の中国共産党中央委員会全体会議では、法治主義の強化が主要なテーマになるため、会議で採択される決議の草稿作成には、孟書記が中心的な役割をはたしているとも伝えられています。新体制のもとで中央政法委員会は面目を一新しただけでなく、その方向を根本から転換し、中国をふたたび法治主義建設への軌道に乗せることができるか、非常に注目されるところです。 

 

 

【参考文献】

  拙稿「薄熙来と中国法の失われた10年」、『中国研究月報』2013年9月号。

 

 

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