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                        中央政法委員会は司法の元締め

 

 

 

 

1.政法部門とは? 

  中華人民共和国の建国直後に、中央政府には政治法律委員会という機関が設置されました。政治法律委員会は政務院(中央政府)の指導のもとで、内務部、公安部、司法部、法制委員会および民族事務委員会の業務を指導することになりました。地方政府に設置された政治法律委員会は、これらに加え、人民検察署(当時)、人民法院、人民監察委員会などの業務も指導しました。

  このような経緯から、中国では、政治法律委員会の指導下に置かれた国家機関を、検察院、法院も含めて、政法部門あるいは政法機関と呼んでいます。

 

2.廃止 → 再建 

  1958年に現在のような党・国家体制が成立したとき、党の中央委員会に中央政法指導小組が設置され、政法機関を指導することになりました。初代組長には彭真が任命されました。しかし、文革による混乱のなかで政法機関は崩壊し、中央政法小組も廃止され、彭真も失脚しました。

  文革が終了したのち、改革・開放政策が法治主義の強化を掲げたことを受け、これを指導する党機関として中央政法委員会が成立し、彭真が再び初代の書記として任命されました。

  ところが、1987年に開催された中国共産党第13回大会は、政治改革の一環として機関党組の廃止を決定したため、1988年に中央政法委員会は廃止され、中央政法指導小組に改組されました(事務局を廃止し、委員会組織に変更した)。しかし、省以下の地方組織では、ほとんど改革はおこなわれませんでした。しかも、1989年の天安門事件で、政治改革を主導した趙紫陽総書記(当時)が失脚したため、この改革は取り消され、1990年に中央政法委員会も復活することになりました。

 

3.組織と権限の強化

  このように政法委員会は、波乱に満ちた歴史をたどっていますが、これ以後は今日に至るまで、安定的に組織を保っているだけでなく、活動の幅を広げて、権限を強化しています。

  すなわち、1991年には新たに成立した社会総合治安管理委員会と一体の組織(合署弁公)となり、1999年には法輪功を取り締まるために設けられた610弁公室をも吸収して一体化するなど、組織の増強が図られました。

  公安、検察、法院を指導下に置いていることから明らかなように、中央政法委員会は司法、治安管理を担当する、最高の党機関です。地方各級党委員会にも各々政法委員会が設置されており、当該地方の司法、治安管理業務を指導しています。全般的な活動の指導だけでなく、重要な事案については個別の裁判に関与して、判決の内容を指導したり、重要人物の逮捕については、審査、承認権を行使するなど、具体的な活動の指導にもあたっています。したがって、政法委員会のメンバー構成がどうなっているかは非常に重要な点ですが、数的には公安関係者が多く、地方レベルでは、公安機関の責任者が書記を務めている場合が多いようです。

  中央政法委員会では、文革時期における公安主導の司法体制に対する反省から、書記は一貫して公安機関出身者を排除してきましたが、2007年に着任した現在の周永康書記は、はじめての公安出身者となりました。「和諧社会」を標榜する胡錦涛指導部が、社会の治安維持を最優先に取り組んでいることの証といえましょう。

 

現在のメンバーは、以下のとおりです。(カッコ内は国家機関でのポスト)

書記:周永康(前公安部部長)

副書記:孟建柱(公安部部長)

委員:王勝俊(最高人民法院院長)、曹建明(最高人民検察院検察長)、耿惠昌(国家安全部部長)、呉愛英(司法部

部長)、孫忠同(人民解放軍総政治部副主任)、陳冀平(専任)、呉双戦(元中国武装警察部隊司令員)

秘書長:周本順(専任、元湖南省公安庁庁長)

 

 

 

 

 

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