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                     最高人民法院盗難事件の怪

 

 

◆ 最高人民法院盗難事件

 国際的にも有名な女優、範氷氷の脱税疑惑を暴露したことでも知られる中央テレビの元キャスター、崔永元氏が2018年12月26日深夜に、最高人民法院が扱ったある民事裁判の関係書類が盗まれていたことを、微博で明らかにしました。最高人民法院は当初、根拠のない噂話として否定していましたが、崔氏が29日に、盗まれたとされる書類の一部画像を公開したことを受け、盗難が事実であると認め、調査を約束しました。

 この盗難事件が大きな注目を集めているのは、それがたんにひとつの民事裁判というわけではなく、この10年余りのあいだ折に触れ、経済界、司法関係者などの注目を集めてきた疑惑の塊のような裁判だったからです。陝西省で争われた炭鉱の採掘権をめぐるこの裁判は、省政府と民間企業との間で長期にわたって争われましたが、敗訴した省政府が最高人民法院に圧力をかけたことが報道されたり、関係者が多数逮捕されるなど、裁判外でも泥沼の争いを展開してきました。2017年12月に最高人民法院の判決が確定し、ひとまず裁判としては決着したかたちになったはずなのですが、その判決もまた執行されないまま放置されていたのです。

 ところが今回の告発によって、実は裁判関係の資料が2016年11月には実物、電子データともにすべて保管室からなくなっていたことが明らかになりました。つまり判決確定のおよそ1年前には、一切の資料が失われており、判決はそうした状況のなかで作成されたものだったのです。

 上述のように、本裁判については場外乱闘のような争いが世間の注目を集め、また陝西省政府などの地方行政機関による司法無視、不当な介入などが問題視され、裁判が公正、公平におこなわれていないのではないかという疑惑がさまざまに指摘されてきました。この盗難事件の暴露は、失われた裁判資料のなかにそうした裁判への不当な介入を示す証拠が含まれていたのではないかという疑惑をあらためて浮き彫りにしただけでなく、中国の司法における政治権力との実際の関係を解明する手掛かりを提供するのではないか、という期待が高まっているのです。

 そこで、本件の全容を明らかにするのは、経緯も複雑で長期に及んでいるため説明が長くなりすぎますので、主要な問題点を以下にかいつまんで解説してみます。

 

◆ 千億鉱山事件

 紛争の発端は、2003年初めに陝西省政府の地質鉱物調査開発局に属する西安地質鉱物調査開発院(西安開発院と略す)が、横山県波羅鎮にある炭鉱の採掘権を売りに出したことに始まります。同年8月、榆林市の企業家、趙発琦が経営する凱奇莱エネルギー開発会社との間で、1,500万元の契約が結ばれました。趙の説明によれば、契約時点では同炭鉱の埋蔵量などは不明でしたが、2005年に西安開発院が調査したところ、推定埋蔵量は約19億トン、当時の市場価格で換算して約3,800億元という巨大な規模であることが判明したそうです。そのため西安開発院は契約の実施を拒絶するようになり、なんと2006年には香港の投資会社と新たな契約を結ぶに至ったのです。当然のことながらこれに激怒した趙は2006年5月に、陝西省高級人民法院に西安開発院を訴え、同年10月に契約の有効性を確認する勝訴判決を得ました。

 ところが、これを不服として西安開発院が上訴した第2審で、最高人民法院は原判決を取り消し、第1審法院に差し戻す裁定を下したのです。この間に陝西省政府が最高人民法院に対し、脅迫まがいの書状を送り付けていた経緯などについては、拙著『はじめての中国法』43ページ以下をご参照ください。(注1)

 この流れからは必然と言えますが、差し戻し審では被告勝訴の判決が出され、今度は原告が最高人民法院に上訴するということになりました。しかし、なぜかこの上訴審はなかなか手続きが進まず、じつに6年もの歳月を要したのですが、意外にも最高人民法院は原告勝訴という判断を下し、2017年12月に判決は確定しました。ただしその後1年余りを経た現在でも判決は執行されず、勝訴した趙もなすすべがないという異常事態に見舞われていました。

 そうした状況のなかで、同事件の裁判資料が、最高人民法院の保管室から盗み出されていたことが露見したのです。

 

 【裁判の経緯】

  2006年10月19日  第1審判決(陝西省高級人民法院)   原告勝訴

  2009年11月4日  第2審裁定(最高人民法院)              原判決取り消し、差し戻し。

  2011年3月30日  第1審判決(陝西省高級人民法院)    被告勝訴

  2017年12月16日  第2審判決(最高人民法院)             原告勝訴

 

 

◆ 裁判官はなぜビデオで証言したのか?

 最高人民法院が裁判資料の盗難を事実と認めた翌日の12月30日に、これに追い打ちをかけるような事態が発生しました。なんと最高人民法院で同事件の審理を担当していたという裁判官が(注2)、盗難事件の事実を証言するビデオ映像をネット上で公表したのです。そして驚くべきことに、彼はその映像を公開した理由について、みずからの安全を守るためであると述べたのです。

 あわせて公開された事務記録によれば、2016年11月29日の午後に、保管室から同事件の関連資料すべてがなくなっていることが発見され、当日の夜、そのことが民事廷の廷長に報告された、と記されています。

 盗まれていたのは第2審の裁判資料である正本1部と副本1部(2冊)、および証拠資料の製本、審理記録などで、これらを電子化したデータも失われたと言われています。電子化されたデータの保管がどのようにされていたのかなど不明な点はありますが、ひとまずはすべて消失した、ということのようです。ただし、同じく保管されていた1審の関係資料は無事だったとのことです。保管室には防犯カメラが2台設置されていましたが、盗難があったと推定される時間帯はいずれもシャットダウンしていて、何も映像が残っていないそうです。これらのことから、内部の事情に詳しいものがかかわっていた可能性は小さくないように思われます。

 さてここで問題なのは、ビデオ証言した裁判官が、なぜ身の危険を感じなければならないのか、その背後には何があるのか、という点です。盗難事件を招いたことについて、保管責任者が何らかの責任を問われることはあり得ない話ではありませんが、身の危険が心配されるというのはただ事ではありません。失われた資料には、いったい何が隠されていたのでしょうか?

 

◆ 奚暁明元副院長の指示

 はじめにも述べたように、この裁判については、さまざまな権力の介入、政治的圧力が疑惑として指摘されてきました。そのことを証明するように、崔氏が明らかにした盗難資料の一部画像によって、この裁判にあの奚暁明元最高人民法院副院長もかかわっていたことが明らかにされたのです。(注3)

                  

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                            奚元副院長の指示が書き込まれた文書の画像 

 公開された2点の画像には、奚元副院長の自筆の書き込みがあります。左側の文書には「周院長の指示により、この事件は厳格に秘密を守るように」との指示があり、右側の文書には「周院長と私が判決の一部を修正した」と書かれています。それぞれの文書がいつ作成されたものか、この画像からは判断できませんが、もしこれが本物であるなら、周強の院長就任が2013年3月、奚元副院長の拘束が2015年7月なので、その間のことと推測されます。

 奚元副院長の拘束後に裁判資料が盗まれたこと、その後に差し戻し後の第2審の第2回公判が2017年1月に開かれて結審し、予想に反して原告勝訴の逆転判決が出たことなどは、どう関連しているのでしょうか。常識的に推測すれば、奚元副院長の介入は被告勝訴へ誘導したものと思われ、最終的に原告勝訴の判決となったのは、奚元副院長の逮捕の影響とみることもできますが、それでは周院長はどのような役回りだったのでしょうか。

  この裁判が、数ある奚元副院長による不正な裁判のひとつであったということなら、それはそれで理解しやすい話ですし、彼の影響力が排除されたのちの最高人民法院による最終判決が、原告の逆転勝訴であった事実はそれを証明しているようにも思われますが、それならなぜその判決が執行されないのでしょうか。つまりこのことは、奚元副院長以外にも、原告の勝訴と確定判決の執行を妨害する他の要因が存在していることを示唆しているとしか考えられません。

◆ 未曽有の巨大津波

 盗難事件が明らかになった後の状況について、12月30日の『法制日報』(司法部が発行する新聞)は、「中国の司法裁判分野は未曽有の巨大な“津波”に襲われている」と評しています。「“津波”の原因は最高人民法院の判決執行が妨害を受け、“司法白条”(白条とは白紙手形のこと)となる可能性が明らかになったことである」と、指摘しています。

 中国の裁判には〔執行難〕(判決の執行が困難なこと)という問題があって、下級審の場合には普遍的な現象とされています。(注4)今更「巨大な“津波”」などと言うのはやや大げさすぎる印象ですが、ここはやはり最高人民法院の判決ですら〔執行難〕に直面したことが、とりわけ衝撃と受け取られたのでしょう。

 習近平政権は表向き法治主義の強化を唱えながら、その実、法治主義を否定する方向に強く傾斜しています。(注5)米中貿易摩擦などを機に、国内では改革・開放に逆行する習政権への批判が高まっており、ことさらこの盗難事件を重視しようとする世論は、あるいは習政権に法治主義に対する本当の取り組みを示せと、踏み絵を迫っているようにも思われます。津波に襲われているのは司法分野もさることながら、真の標的は習政権なのかもしれません。

【注】

1.拙著では榆林市の公安が趙発琦を逮捕したところまでしか記述できませんでしたが、趙は4ヵ月余り拘束されたのち、2015年6月に無罪判決を受けています。また、2011年初めに、陝西省の党規律検査委員会は省政府の関係者など13名を処分していますが、2017年11月にも西安開発院の元院長、省国土資源庁元庁長など被告側の主要な関係者が調査対象となっています。類似の参考事例として、「陝西国土資源庁判決拒否事件顛末記」参照。

2.裁判は3名の裁判官が担当しておこなわれましたが、この裁判官は審理の途中で交代し、判決時点では担当を外れています。交代した理由が盗難事件と関係しているかは不明です。

3.奚暁明元副院長については、「一番デタラメな判決」参照。詳しくは拙稿「中国の最もデタラメな判決」(論文一覧参照)。

4. 〔執行難〕については、『はじめての中国法』50ページ、「判決は紙切れか」の項を参照。

5. 「法治主義に背を向ける習政権」参照。

 

 

 

 

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