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                     法治主義に背を向ける習政権

  習近平政権はその成立後、胡錦濤政権2期目の周永康中央政法委員会書記のもとで崩壊した司法体制を再建するため、法治主義の回復と司法制度改革に強い意欲を示してきました。そのことは、2013年の中国共産党18期3中全会で採択された「改革を全面的に深化させるいくつかの重大問題についての決定」や、翌年に最高人民法院が公布した「人民法院第4次5年改革綱要」で確認することができます。

 しかしその一方で、習政権の政治体制それ自身は、これまで法治主義の前提とされていた法治国家とはまったく正反対の方向へと転換しており、著しく矛盾する関係を生み出しています。ここでは、この問題のごく基本的な内容について、おさらいしてみることにしましょう。

◆党政分離の原則

 習政権は18期3中全会以降、「中央全面深化改革指導小組」(2013年12月)、中央国家安全委員会(2014年1月)、「中央ネットワーク安全・情報化指導小組」(2014年2月)という3つの主要な指導機関を相次いで成立させましたが、これらは俗に〔超級(スーパー)機構〕と呼ばれています。なぜ「スーパー」なのかといえば、それは組織的には党の機関であるにもかかわらず、実態としては党と国家、軍を一体化した、文革時期さながらの機関となっているからです。

 こうした新しい党機関の成立を受けて、2015年1月に開催された党の中央政治局常務委員会会議は、「集中的統一指導体制」という新たな原則を打ち出したのですが、それは党がすべての国家機関と軍を直接指導することを意味するものだったのです。

 

 「集中的統一指導体制」が、なぜ法治主義と矛盾するかといえば、これまで中国では法治主義の前提として、「党政分離〔党政分開〕」(党と国家との分離)が不可欠の条件と考えられてきたからにほかなりません。文革路線からの決別を宣言した会議として知られる1978年末の党11期3中全会の直前にひらかれた党中央の工作会議で、鄧小平は「党の指導の強化を口実に、党がすべてを取り仕切り、あらゆることに関与する、あるいは(党による・・・筆者注)一元的指導を口実に、〔党政不分〕(党と国家の一体化)、〔以党代政〕(党による国家の代行)を実行する」ことは誤りだ、と厳しく批判しています。

 中国のような政治体制では、党はそもそも法超越的な存在ですから、党の活動に対して法によるコントロールを実行することは、理論上はともかく、実際にはきわめて難しいと考えられます。そこで、党と国家の組織、役割分担を明確に区分し、党が国の行政、司法などに直接関与することを防ぐことにより、党を国家の行為から切り離せば、法治国家の実現も可能である、というのが、ここでの考え方です。「党政分離」というのは、党を国家から切り離すことによってはじめて、国家を法によるコントロールのもとに置くことができる、という考え方であるわけです。

 したがって、「集中的統一指導体制」は「党政分離」を否定するものにほかならず、これまで中国が法治主義強化の前提としていた政治体制とは、明らかに異なる方向を向いている、と指摘することができます。

 

◆監察体制の改革

 2016年11月に党中央は、監察体制の改革にかかわる試行計画を通知しましたが、それによれば省級人代に監察委員会を新たに設置し、党の規律検査委員会との〔合署弁公〕を実施するとしています。〔合署弁公〕とは、複数の機関が合同で事務をおこなうことを指し、たとえば法院と検察院とが犯罪撲滅闘争などの際、一時的にそのような体制をとることは珍しくありません。党機関が同時に国家機関をも兼ねている二枚看板の組織である場合もこのように言い、行政監察機関(監察部)は1993年から規律検査委員会と〔合署弁公〕を実施しています。

 中央規律検査委員会の王岐山書記は、近く検察の汚職取締り部門の所属も変更すると述べていますので、規律検査委員会は監察委員会と一体化することにより、行政監察部門だけでなく、検察の汚職取締局をも併合し、反腐敗闘争を統一的に指導する体制へ移行するものとみられています。

 

 検察の汚職取締局は鄧小平の指示にもとづいて、最高人民検察院副検察長だった蕭揚(元最高人民法院院長)が設置した、当時の反腐敗闘争の拠点です。鄧小平は「党政分離」の原則にもとづいて、党の規律違反と国家の法律違反とを厳格に区分するため、党の規律検査委員会とは別に汚職取締局を新設したのですが、これには1950年代の苦い経験が反映されていたのです。

 1955年に党は、反党活動の取締りを強化するため、党の規律検査委員会を監察委員会に改めたのですが、その際に機能を強化するという名目で、職権の範囲を党の規律違反から国家の法律違反にまで拡大しました。そのことが後に検察機関の弱体化をもたらし、文革時には検察を廃止にまで追い込むことになったのです。

 1950年代の検察機関は、国家機関と公務員の違法行為を監視する「一般監督」という権限を与えられていましたが、党の規律検査委員会と大部分で重複するため、しばしば党の側から邪魔な存在として批判されました。検察と規律検査委員会による二重のチェックが入ることは、非効率という面もありますが、反腐敗闘争が権力闘争に利用される可能性を排除する効果を期待することができるという利点もあります。毛沢東は党の指導を徹底させることを目的に、前者の非効率を問題視し、さらには反腐敗闘争を権力闘争に利用することで法治の破壊を進めたわけです。

 以上のことから明らかなように、習近平政権の反腐敗闘争、法治国家化の方向性は、鄧小平時代のそれとは完全に逆転しています。その後に文革へと突き進んだ1950年代末の政治体制を髣髴とさせるような一面もあり、改革・開放以来否定されてきたものが復権する兆しのようにも受け取れます。そのような動きのなかで、習政権が掲げる法治主義の強化や司法改革が、はたしてどのような成果をあげられるのか、注視していく必要があると思われます。

◆周強院長の発言

 ところで、2017年1月14日に開催された全国高級法院院長会議で、周強最高人民法院院長が、「西側諸国の民主主義的立憲主義、三権分立、司法の独立など誤った思想に影響されず」、社会主義的な価値観を堅持しなければならない、と述べた発言が、国内外で批判を招いています。民主主義的立憲主義や三権分立を中国が否定していることは広く知られていますが、「司法の独立」については、習政権のみならず、周強自身も院長着任以来、司法改革の中心的課題として強調してきたことと理解されていたため、この発言は、政治的環境の変化による圧力を受けたせいではないか、という憶測を呼んだようです。そうした憶測を誘発したのが、上述したような習政権の動向であることは言うまでもありません。

 しかし、ここは冷静に検証する必要があるでしょう。周強が否定したのは「司法の独立」であり、三権分立をとらない中国では「司法の独立」はありえません。中国の司法改革で求められているのは「裁判の独立」であり、これは裁判機関が独立して裁判権を行使すること、と表現されます。要するに周強は、ブルジョア的な国家原則には反対する、という、中国としては当たり前の主張を表明しただけで、中国の司法改革に言及したわけではありません。

 どうやらこの憶測は、過剰反応から出たもののように思えますが、世論がかくも過敏に反応したのは、それなりの土壌が形成されていたせいなのでしょう。周強には司法改革の旗手としての役割が期待されていたのですが、その周強もついに、という危惧が、それだけ広く共有されている証左のように思われます。

  【参考ページ

    ・司法改革の課題

    ・法治体制の復活

    ・中国的裁判の独立

  【参考文献

         「中国における司法改革の系譜」、『中国の法と社会と歴史』、成文堂、2017年

 

 

 

 

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