中国法入門
田中信行研究室
中国法について知ろう
中国では“なぜ”1票の重みに差があったのでしょう
県級人代代表選挙の投票用紙見本(2011年)
投票する候補者に〇を記入、候補者以外に投票するときは氏名を記入する
中国の選挙制度を正しく説明するのは、じつはそれほど簡単なことではありません。というのも、制度と実態、国の法律と党の規則とでは、内容に大きな隔たりがあるからです。
1.全人代の選挙
まず、法律に定められた選挙制度から、その概要を説明していきましょう。
中国で最初の選挙法は、1953年に第1期全国人民代表大会(以下、全人代と略す)の招集をめざして制定された、「全国人民代表大会および地方各級人民代表大会選挙法」(以下、旧法と略す)です。ただし、この法律によって全人代の代表選挙が実施されたのは第1期と第2期の2回だけでした。文革直前の1965年に召集された第3期には、代表定数が大幅に増加するなど、選出方法が改められただけでなく、政治的な混乱が次第に激化したため、もともと形式的な手続きにすぎなかった選挙制度は、いっそう形骸化することになりました。
1975年憲法を制定するために招集された第4期の代表選出では、まったく選挙は実施されず、「民主的協議」方式という名目のもとで、党による任命が公然とおこなわれたのですが、じつはそれは制度が改められたと言うよりは、それまで隠されていた実態が、表面に現れただけでもあったのです。
文革期間中は、人代制度が機能停止状態に陥ったため、選挙もおこなわれませんでしたが、文革終結後の1978年に招集された第5期の全人代では、本来は、郷級人代 → 県級人代 → 省級人代 → 全人代の順で実施されるはずの選挙が、省級人代 → 全人代の部分しか実施されませんでした。
第5期全人代の期間中、1979年に旧法は全面改正され、第6期以降の全人代は、現在の選挙法(以下、現行法と略す)のもとで選出されています。
2.選挙の基本原則
社会主義国の選挙制度では、一般に形式上は普通、直接、秘密、平等の4つが基本原則とされています。この点だけをみると、わが国など資本主義のもとでの民主主義国と大きな違いはないようですが、社会主義国の場合は、以上の原則がすべて一律に採用されているわけではなく、その実態も国によってさまざまな違いがあったようです。
中国の場合、まず選挙権と被選挙権についてみると、満18歳以上の市民にはすべて選挙権のみならず、被選挙権も与えられています。これが与えられないのは、犯罪などのため法律により政治的権利を剥奪された者だけです。
つぎに選挙方法については、直接選挙だけでなく間接選挙も併用されています。旧法では最下級の郷級人代だけが直接選挙でしたが、現行法ではその上の県級人代までが直接選挙となりました。省級人代と全人代は間接選挙ですが、具体的には、1級下の人代代表がその1級上の人代代表を選挙するという方法をとっています。とりわけ、間接選挙の候補者は選挙権者に限られない、という点は、注目すべき特徴と思われます。
秘密投票については、旧法が挙手による場合も認めていたのに対し、現行法は無記名投票のみとしました。投票は原則として投票所を設置しておこなわれますが、移動投票箱による場合や選挙大会を開催しておこなう場合なども認められています。
以上の制度は、基本原則からやや外れた部分もありますが、それは国民の文盲率が高かったり、国土が広いため、交通の不便な農村などでは情報の伝達や投票に制約があることなど、中国の国情を反映したものと説明されています。
3.1票の格差
さて、それでは、選挙権の平等という原則についてはどうでしょうか。
中国の選挙法では、選挙権の平等という原則は、旧法も現行法も認めていません。戸籍制度と同じく、選挙制度でも都市と農村は区別されており、1票の重みに格差がつけられています。
格差を設ける理論的な根拠としては、憲法にも定められているとおり、中国は労働者と農民による同盟関係を権力の基盤としながらも、社会主義の建設という点にかんして、労働者の指導的地位を認めていることによるものです。さらに、建国直後の人口比率では、農民が8割を超えるという実態面に対しての配慮も加わり、旧法では最大で20倍(同一人口数に対する代表定数の割合が、都市部では農村部の20倍という意味)までの格差が認められていました。
現行法では当初、都市人口の増加などが考慮され、県級で4倍、省級で5倍、全人代では8倍と設定されていましたが、1995年の改正によって、すべて4倍に統一されています。
今回の法改正では、このような1票の格差が廃止され、建国以来初めて選挙権の平等が実現することになりました。このことには、2つの意味があります。もちろん、経済の発展によって国民全体の文化水準が向上し、都市人口と農村人口に大きな差がなくなってきた、という実態面の問題がひとつ。そしてもうひとつは、労農同盟を権力の基盤とするという理論に、変化が生じてきたことです。
後者の点について簡単に説明すれば、江沢民政権が「3つの代表」* という理論を提起して、中国共産党を階級政党から脱皮させようとしたことを受け、胡錦涛政権は「和諧社会」の実現を標榜して、都市と農村の格差是正に取り
組んできましたが、こうした中国共産党の理論や方針の変化が、その背景にあると指摘できるでしょう。
では、都市と農村の1票の格差が解消されたことによって、これからは農民の意見が、より強く政治に反映されることになるのでしょうか。今回の改正によって、これまでより農村地域に多くの代表定員が配分されることになりますが、それによって全人代における農村出身の代表が増えるという関係にはありません。というのも、省級の人代と全人代は間接選挙になっており、しかも被選挙権者は選挙権者に限られないので、定員枠の割振りと代表の構成には、お互いに関係がないからです。まったく影響がないとまでは言い切れませんが、直接的な因果関係はありません。
4.党による選挙管理
しかしながら、今回の法改正で、中国の選挙制度はさらに民主的になった、と手放しで評価するわけにはいきません。冒頭にも述べたように、中国の選挙はまずもって自由な選挙ではないからです。ひと言でいえば、中国の選挙は中国共産党によって管理された選挙でしかないのです。
中国共産党が定める規定によれば、選挙によって選出されるポストは、すべて党が管理することになっています。
党が管理するのは選挙手続きだけではなく、誰を候補者とし、当選者とするかということも含んでいます。つまり、中国の選挙では、投票の結果で当選者が決まるのではなく、事前に党によって当選者が指名されているのです。
中国における選挙手続きの特徴のひとつとして、自ら立候補する、という選択肢がないことは、大いに注目される点です。候補者はすべて誰かに推薦される必要があります。基本的には組織によって推薦されることになりますので、まずこの点からして、党によって認められた者が候補者になりやすい環境が設定されていると言えるでしょう。
ただし1980年代以降は、「差額選挙」といって、定数以上の候補者を立てることが原則とされたり、候補者を推薦できる組織の枠が拡大するなどの変化があって、党による事前の承認を受けていない者が当選するケースも散見されるようになりました。1980年代には、そのようなハプニングは大問題となり、当選が無効とされたり、選挙自体が無効とされるなど、しばしば混乱が生じましたが、1990年代以降はそのような結果も容認されるようになっています。
選挙に対する中国共産党の管理は、かなり緩やかなものに変化していることは間違いないようですが、基本的に自由選挙ではないという点については、変わりはありません。 党の管理にかかわる部分は党の規則に定められており、選挙法には規定されていないため、今回の法改正はこの部分を変更するものではありませんし、変更を示唆するような改正もおこなわれてはいません。
国家機関ではない、住民の自治組織である村民委員会や住民委員会(社区管理委員会)などの役員選挙では、「海選選挙」と呼ばれる自由選挙がかなり普及するようになりましたが、人民代表の選挙が党の管理から解放されるのは、いつのことでしょうか。
* 「3つの代表」とは、中国共産党規約によれば、以下のとおりです。
「中国共産党は中国労働者階級の前衛部隊であると同時に、中国人民と中華民族の前衛部隊であり、中国の特色ある社会主義事業の指導的中核であり、中国の先進的な生産力の発展が要求するところを代表し、中国の先進的な文化の前進する方向を代表し、中国の最も広範な人民の根本的利益を代表する」。
【参考ページ】 全人代代表に占める女性の割合
人民大会堂大会議場で開催される全国人民代表大会
最高人民法院
2015年6月11日に、第1審判決を受けた周永康
人民大会堂大会議場で開催される全国人民代表大会