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                               烏坎村の真実

 

 

 

 

 



 

 


                                               
                                        烏坎村で村民に語りかける朱明国広東省党委副書記(当時)。
                     左は鄭雁雄汕尾市党委書記、右は林祖恋。2011年12月22日。


1.「村の幹部が・・・」は嘘
  2011年に村の土地をめぐる紛争に勝利して、「烏坎モデル」を演出した広東省の烏坎村では、その後も村の土地を取り戻せないため、かつての抗議運動の指導者たちも分裂状態に陥り、混迷を極めています。
 そもそも、烏坎村の土地紛争では、「村の幹部が不正に土地を売却した*」ことが紛争の発端とされていますが、2011年の混乱が一段落した後の経緯を見ていくと、どうやら土地紛争の実態は、「村の幹部が・・・」という話ではなかったようなのです。

  * 農村の土地を「売却」することはできません。中国で俗に土地を「売る」と言っているのは、土地にかかわる権利を処分することを指しているのですが、農村の土地の場合、その権利が具体的に何を指すかは、土地の地目などによって違ってきます。

2.土地はどうなったのか
  それでは、烏坎村の土地は実際にはどのようになっていたのでしょうか?
  この点については、確定的な情報はありませんが、政府側、村民側がともに認めているおおよその調査報告によれば、処分されたとされる土地は全体で1万2,000ムー(1ムーは約6.67アール=200坪)であり、そのうちの7,000ムー余りが国有化され、4,000ムー余りが村外の企業などにリース された、ということのようです。
  ひとまずこの数字を前提にすれば、「村の幹部が・・・」という 可能性のある土地は、後者の4,000ムー余りの部分ということになります。ただし、これらの土地はリースされているわけですから、リース期間が満了すれば土地は村に戻ってきます。実際、村民委員会はこれらのリース契約の検証を進めており、村の権利を確実に回復する、としています。
  これらのリース契約は、村の土地を管理する烏坎港実業開発会社を介して締結されているのですが、その管理に問題があったとして、同社の経営責任者である村の幹部(党支部書記、村民委員会主任など)が、党の規律違反に問われ、処分を受けました。しかし、彼らが受けた処分はそこまでで、違法行為が摘発されるこ とはなく、村の幹部が土地紛争の元凶である、という説明には、根拠のないことが明らかになっています。
  つまり、村が取り戻せない土地とは、国有化された7,000ムー余りの部分を指しているのであり、それは村の幹部が責任を問われるような問題ではないからです。

3.隠された合意内容
  2011年の紛争は最終的に、朱明国広東省党委員会副書記と、抗議運動の指導者=林祖恋とのトップ会談で双方が合意し、解決しました。朱副書記が、烏坎村村民の要求は正当なものである、と認めたことで、村民は闘争に勝利したと評価され、話し合いによる問題解決が実現したことをもって、これを農村土地紛争解決のモデルとすべき、という世論が高まりました。
  ですが、朱・林会談はメディアを締め出した密室でおこなわれ、その合意内容は公表されていません。朱書記の発言は、村民の要求を正当なものとは認めているものの、国有化した土地を返還する、とはひとことも言っていないのです。朱副書記はうまいことを言って、林や村民を騙したのでしょうか?
  いや、そうではありません。朱副書記は2012年4月に烏坎村を再訪し、省と汕尾市の政府は計6,000万元(日本円でおよそ10億円)の財政支援を提供する、と表明したのです。つまりそれは、国有化された土地に対する補償金を意味し、朱・林会談での隠された合意がそこにあったことを示すものだったのです。
  朱・林会談の後、村民委員会主任に当選した林祖恋は、土地返還に取り組む姿勢が消極的として批判されるようになっています。林にしてみれば、補償金の支払いを条件に国有化を承諾してしまったわけですから、いまさら土地を返せとは言えない立場なのです。

4.賢明な指導者か? 裏切り者か?
   林の考え方としては、国に対して土地の返還を求めれば、弾圧を招く危険性が高くなるので、それよりは補償金の支払い、ということで妥協する方が賢明、とい う判断だったと思われます。省の党委員会としても、国内外の注目を集める烏坎村で、農村土地の国有化という政策の是非が争点となるよりは、「村の幹部 が・・・」という話で結着すれば、省の党と政府は悪者にならずに解決できるメリットがあったというわけです。
   しかしこの結着に、裏の事情を知らされないまま、失われた村の土地がすべて返ってくると信じた多くの村民は、いつまでたっても土地が返還されない現状に苛立ち、不満を募らせています。彼らにとっていまや林は裏切り者でしかないのですが、秘密会談での合意を公言できない林は、弁明することができず、「すべての土地を取り戻すことは難しい」と、あいまいな説明に終始しています。

5.取り戻せない土地
   2014年3月におこなわれた村民委員会の選挙で、林祖恋は対立候補を破り、主任に再選されました。土地の返還に消極的な林の姿勢を厳しく批判した対立候補とは、前村民委員会の副主任だった楊色茂です。楊は選挙から降りるように当局から圧力を受けていたそうですが、参加の意思を曲げなかったところ、選挙直前に収賄の疑いで拘束されてしまいました。彼は主任選挙で林が当選した結果を受けて、林が指導する委員会には参加しないことを表明し、選挙から降りてしまいましたが、楊と立場を同じくする洪鋭潮前副主任は、楊と同じ容疑で拘束されたにもかかわらず、副主任に当選しました。
  このような経緯からみて、新しい村民委員会は実質上、村の党支部(書記は林)の指導下に置かれるものと予測されますが、そのことは言いかえれば、すでに国有化された土地が烏坎村に返還される可能性はないことを示唆しています。
   いまだに失われた土地を取り戻せない烏坎村の現状を目の当たりにして、さすがに「烏坎モデル」を持ち出す人はいなくなったようですが、騒動の表面的な部分だけを見て、勝手な思い込みではやしたてたメディアやネット・ユーザーが、その実態に目を向けることなく、烏坎村を「期待外れ」として見放してしまうなら、それこそ当局の思う壺ということなのでしょう。
  「烏坎モデル」の巧妙な仕掛けを解きほぐし、土地の権利がどのようにして失われたかという実情が明らかにされない限り、烏坎村の闘いが農民の権利保護に教訓として貢献することも、残念ながらないように思われます。


     ・参考文献
        「虚構のなかの烏坎村」  『中国研究月報』2015年6月号
           『はじめての中国法』 第6章、13章

      ・参考ページ
         混迷する烏坎村

 

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