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                                     両雄並び立たず

 

 

 

1.中国民法学のリーダー 

  中国を代表する民法学者といえば、梁慧星と王利明の名前を挙げることに異論をはさむ人は、まずいないでしょう。梁慧星さんは、中国社会科学院法学研究所民法室の教授。王利明さんは、中国人民大学法学院の教授で、現在は副学長でもあります。1990年頃から民法研究の第一線で活躍し始めたふたりは、学界のリード役を務めるとともに、民事法領域の立法作業に深くかかわってきましたが、ともに協力しながらも、その学説は共通点をもつと同時に、根本的に対立する部分を持っています。そしてその対立点は、ふたりが生まれてから過ごした時代の違いを反映しているといえます。

 

2.対照的な経歴

  梁教授は1944年、四川省の生まれで、1966年に西南政法学院を卒業しています。彼が大学を卒業した年は、ちょうど文化大革命が始まった年でもあり、彼は下放青年として1968年に雲南省昆明へ赴き、農機具工場で働くことになります。文革終結後の1978年、ようやく彼は中国社会科学院の研究生院に進み、1981年に修士の資格を得て、法学研究所に職を得ました。大学卒業から大学院進学までの10年あまりの経験が、改革にかける彼の信念の源泉となっていることは、間違いありません。

 一方の王教授は1960年、湖北省の生まれで、1981年に湖北財経学院を卒業しています。その後、中国人民大学の大学院へ進み、修士の資格を得たのち、同大学に職を得ました。在職のまま、1987年に博士課程に進学して、1990年に卒業すると同時に博士の資格を取得し、中国の大学で教育を受けた最初の民法学博士となりました。この間、1989年から1年間、博士論文執筆のため、米国のミシガン大学に留学しています。

 この経歴から明らかなように、梁教授は伝統的社会主義法学の教育を受け、これをベースに、研究者となってからは大陸法系の民法学研究へと進み、日本民法学へと傾倒していくことになります。王教授は、改革・開放によって再開されたばかりの法学教育の最前線を駆け抜け、米国への留学まで実現しています。こうした両者の経歴の違いによって、大陸法系の民法学を唱導する梁教授と、英米法系の法理論を説く王教授という、対立図式が形成されることになりました。

 社会主義法のベースでもある大陸法系の立場に立つ梁教授と、英米法系の立場に立つ王教授とを比較すれば、後者の方がより積極的な改革論者ではないかと考えがちですが、物事はそう単純ではありません。じつは王教授は、社会主義こそが中国を救う、という強い信念を持っている人なのです。ですから、このふたりの対立図式は、大陸法vs英米法、と同時に、市場経済vs社会主義、という、ちょっと複雑でねじれた関係を形成していることになります。

 

3.激突する主張

 ふたりの主張が正面から激突したのは、物権法の起草作業のときです。法制工作委員会は、まず梁教授が中心となる法学研究所民法室に、草案の起草を依頼しました。そこで梁教授らが作成した草案は、市場経済への移行を円滑にするため、所有制の平等を原則とする内容になっていました。これに対し、王教授がこの案に強く反対したため、法制工作委員会は、王教授のグループにも別途草案を起草するよう依頼したのです。もちろん、彼らが提案した草案は、国家所有制、集団所有制、私人所有制の区別を明確に定めたものでした。

 社会主義は公有制(国家所有制+集団所有制)を基礎とする社会ですから、これを維持するためには、所有制の別を明確にしたうえで、公有制の優位性を法律により保護しなければなりません。これに対し、市場経済は平等な主体による自由な競争を原則とする社会ですから、所有制の差別化は排除されなければなりません。両者の草案はこの原則をめぐって立場の違いを鮮明にし、鋭く対立したわけですが、この対立は、これを起草したグループ間の対立にとどまるものではなく、中国共産党、政府、社会全体をあげて、激しく争われている問題にほかなりません。

 法制工作委員会が全人代常務委員会に提出した物権法の草案は、王教授の主張を入れて、所有制の区別を規定する内容となっていました。しかし、全人代での採択を間近に控えた2005年に、その草案すら社会主義の原則に違反し、憲法に反するという批判が巻き起こり、採択が1年間繰り延べられる事態になりました。ところが、最終的に全人代に提出された草案には、違憲批判にもかかわらず、「市場主体の平等な法律的地位」を保障する、という規定が書き加えられていたのです。

 

4.共通する夢

  このように法律論では鋭く対立することが多いふたりですが、夢には共通のものがあります。彼らの夢とは、いうまでもなく、中国を一刻も早く法治国家へと導くことです。この夢を実現するため、人材育成に貢献することが、ふたりにとっては、何よりの仕事なのです。

 梁教授がとりわけ力を入れているのは、裁判官教育です。そのため、地方の裁判所から講演の依頼を受けると、時間の許す限り、全国どこへでも、ノートパソコンと着替えをバッグに詰めて、気軽に出かけていきます。ほぼすべての1級行政区を訪れ、残されたのは1つか2つの省だけ、という話を最近うかがいましたから、今頃はすでに全国踏破を成し遂げられたかもしれません。

 王教授の夢は、自分自身で大学を設立し、自分が理想とする法学教育を実践することです。彼は現在、人民大学の法学院長を経て、副学長にまで昇進していますから、かなりその夢に近づいたことになりますが、人民大学ではどのくらい理想に近い法学教育を実践することができるでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                    梁慧星教授                                   王利明教授

 

 

 

 

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