top of page

                           北京大学法学院の憂鬱 ・ 続

 

 

 

  大学は養鶏場か

 

  2010年の新年早々、北京大学法学院で教授の業績評価と報酬をめぐる問題について、騒動が持ち上がりました。1月18日に開催された法学院の会議で、朱蘇力院長が、教授の業績を有力学術誌に掲載された論文数で評価し、これを報酬にリンクさせる制度の導入を決定したと表明したことが、ことの発端です。

 

  これに早速、龔刃韌教授が反対する意見を表明し、賀衛方教授など同僚教授や他大学の教授も加わり、抗議の大合唱が始まりました。いち早くこの騒ぎを伝えた『新京報』紙も、2月5日の社説で、一部の大学が利益追求に偏重していると批判した温家宝総理の言葉を引いて、北大法学院の決定を批判しています。

 龔教授たちの批判には、2つの問題が含まれています。ひとつは上記の報酬制度、そしてもうひとつは、法学院指導部が教授会での協議を経ずに、いきなり新制度の導入を決定したことです。もちろん、前者の方が問題としては遥かに重要ですが、北大法学院の現状では、後者も深刻な対立点に違いありません。

 

 教授の仕事と報酬の関係をめぐる問題は、何も中国にだけ限った問題ではありません。大学教授は、いったん教授になってしまったあとは、まったく研究をしなくても、教授でいられることが許されるのでしょうか。大学は、そんな天国のような職場であってもよいのでしょうか。もちろん、理屈としては、それでよいはずはありません。しかし、教授が研究をしているかいないかは、どのようにして判断すればよいのでしょう。とりあえず何か研究して、たとえどんなに水準の低い論文でも書いていさえすれば、研究をしていると評価されるのでしょうか。これはきわめて普遍的で悩ましい問題です。

  龔教授は、晩年に13年を費やして1冊の名著を書きあげた李浩培教授を引き合いに出して、学問とはそのようなものだという正論を述べています。これはまさしく正論には違いないのですが、その正論が現代社会では、次第に受け入れられにくくなっているという状況は、洋の東西を問わないようです。「大学は養鶏場ではない」との指摘は、ごもっともというほかないのですが。

 

  龔教授も業績評価制度の導入に、全面的に反対しているわけではありません。清華大学法学院が実施しているような評価制度には学ぶべき点があるとしていますが、同学院の場合は報酬に反映する部分はそれほどではないのに対し、北大の制度では数倍にも及ぶ差が生ずることに、反対しているのです。

 とりわけ北大法学院の一部の教授たちが危機感を募らせているのは、数年前から実施されている任期付き任用制度の影響が小さくないと見られているせいです。この制度が直接影響したというわけではありませんが、短期に成果を求めるという最近の傾向が、学内の若手研究者に過重なプレッシャーをかけている、と受け止めている教授たちは少なくないようです。この制度が導入されてから、すでに数名の将来を期待されていた准教授などが、他大学へ流出した衝撃は、北大法学院のプライドを深く傷つけたかもしれません。

 

  一方、指導部の立場からすれば、低迷する現状から一刻も早く抜け出すため、鞭打ってでも成果を出させ、名誉ある地位にふさわしい学術活動を展開したいと考えるのは、やむをえないところでしょう。しかし、学問とはそのように一朝一夕で成果が生まれるものでないことも当然です。

 朱院長は、昨年も採用人事にかかわる新制度を、指導部の独断で導入した揚句、学院内の強硬な反対に直面して、これを撤回するという失態を演じました。それだけに、今回は相当な覚悟で臨んでいると推測されます。北大法学院を、その名誉にふさわしい学府に変身させたいと願う指導部の焦りが、学院内の混乱に拍車をかけることにならなければよいのですが、すでに事態は楽観を許さない危険な水域に近づいているらしいのです。

 

 

  *追記

 北京大学法学院では、一部教授から学院長に対する辞任要求などが出され、紛糾していましたが、2010年5月末の会議で、学院長など指導部の交代を決定しました。新しい指導部には、税法の張守文教授が学院長に任命されたほか、昨年末「立ち退き条例」の改正について、全人代常務委員会に意見書を提出して注目された沈岿教授と王錫鋅教授も副学院長に任命されました。

 朱蘇力前学院長は、事実上解任されたものとみられていますが、果たして今回の措置によって、長く続いてきた法学院の混乱は,収束に向かうことができるでしょうか。

 

 

 

 

bottom of page