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                               北京大学法学院の憂鬱

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                            

                                              朱蘇力・元学院長

 

 

 北京大学(以下、北大と略す)は言わずと知れた、中国を代表する名門大学です。北大法学院ともなれば、中国法学界をリードする研究者集団の牙城かと思われがちですが、意外なことに、学術研究でその分野を代表するような研究者はほとんどいません。別項で触れた朱蘇力教授や賀衛方教授は、名前はよく知られていますが、学界のけん引役を果たすような存在ではないようです。

 

 超一流教授はいなくても、北大法学院が学生のあこがれの的であることに変わりはなく、全国から優秀な学生が難関をくぐりぬけて集まっています。さりながら、「学生は一流、修士は二流、博士は三流、教授は無流」と、自嘲する学生たちは、世間の評価とそれに見合わない教授陣の実態との格差に、少々ヤケ気味のようでもあります。

 

 北大法学院が低迷する一因は、名門大学ゆえの地位の重みにあるようです。北大は優秀な学生を選抜するという役割だけでなく、中国共産党高級幹部の子弟教育を受け持つという特別な役割も担っています。そのため、教員の任用にあたっては、他大学に比べ、とりわけ思想面で厳しいチェックと管理がおこなわれているようです。公表されている統計があるわけではありませんが、おそらく教員と学生に占める党員の割合が全国一であろうことは、間違いありません。したがって、北大は名門として研究者があこがれる職場である一方、このような厳しい管理を嫌う研究者は、北大を避けるという選択を余儀なくされるわけで、この問題はいわば宿命というほかありません。

 

 2001年から学院長を務める朱蘇力教授は、米国で7年にも及ぶ留学を経験していますが、保守的なナショナリストとして知られています。中国共産党の代弁者と批判されることもありますが、朱教授自身は、2006年に党宣伝部などが主催するイベント、「百名の代表的法学者」にも選ばれ、意気軒昂のようです。

 

 朱学院長に対する世間の批判が厳しいのは、彼自身の言説にも原因がありますが、彼を学院長の座に座らせている北大にもあるようです。本来なら中国の最高学府として、法治主義への旗振り役を務める立場にありながら、まったくといってよいほどその役割が果たせていないという思いは、北大法学院の一部の教授や学生たちにも共有され、閉塞感は深く蓄積しています。

 

 この不満が、2008年末に一つの“事件”を生みました。北大法学院で国際法を専攻する龔刃韌教授が、「宁要社会主义的草,不要资本主义的苗?」と題する論文を、香港中文大学の『二十一世紀』という紀要(インターネット版)に発表し、朱学院長を真っ向から批判したのです。これは学術論文というよりは、朱学院長の学問姿勢そのものを問うた、きわめて政治色の強い内容ですが、その背景には、上述した北大法学院に内在する、怒りに近い不満の蓄積があり、龔教授ひとりの個人的な感情の露出とは異なるものがあります。

 

 この論文が香港の大学から発信されたのは、その内容によるものですが、驚くべきことに、これを知った上海の華東政法大学が、伝統ある同大学の紀要『法学』の2009年第1号に、これを巻頭論文として掲載したのです。もちろんこれは、華東政法大学が、北大法学院の内紛を興味本位に取り上げたわけではありません。龔教授たちの怒りを、自分たちも共有しているという、同校からのメッセージにほかならず、このメッセージが上海から届けられたことは、中国法学界の現状の一面を、シンボリックに表現したものといえるでしょう。

 

 

 

 

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