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                           賀衛方教授の予期せぬ出来事

 

 

                                                     

 

 

 

 

 

 

 

 中国で、司法改革の必要性を訴え続けてきた論客として知られる、賀衛方北京大学(以下、北大と略す)法学院教授が、ついに北大を去ることになったと、メディアが一斉に報じたのは、2008年7月のことでした。ついに、というのは、これまでもそうした噂は幾度となく伝えられていたのですが、今回は間違いのない事実だったからです。賀教授は1995年に中国政法大学から北大に移って、13年間を北大で過ごしましたが、今度は浙江大学に移ることになったのです。

 

 賀教授が北大法学院きっての有名教授となったのは、北大に移って間もない1998年に発表した小論がきっかけでした。この年の1月、彼は『南方週末』に「退役軍人が法院へ」という文章を発表し、法律知識に乏しい解放軍出身者が、裁判官として大量に在籍している司法の危うい現状を鋭く告発して、社会に衝撃を与え、一躍注目の人となったのです。この時から、彼はちょっと過激な改革派の論客として、しばしばメディアに登場し、学生に最も人気のある教授として活躍するようになりました。

 

 しかし、そんな賀教授にとって、北大はけっして居心地の良い場所ではありませんでした。北大法学院の朱蘇力学院長は、中国共産党保守派のイデオローグとして知られた人です。賀教授の改革論に対して、朱教授がしばしば反対の現状擁護論を唱え、賀×朱論争が熱く展開されました。こうした論争を伝えるメディアでは、賀教授の方が多くの支持者を集めて、優位な立場にあったように見受けられましたが、教授自身にとって院長相手の論戦は、とりわけ相

手が党の代理人のような立場にいただけに、苦しいものであったかもしれません。

 

 賀教授の立場がいっそう苦しくなったのは、2006年春のことでした。3月に中国経済体制改革研究会が、北京で開催した会議での彼の発言が、反党的として厳しく批判されることになったからです。賀×朱論争では、どのような過激な論戦があったとしても、それは学問上の見解の相違として扱われましたが、ここではそれが政治的な問題として糾弾されることになったのです。

 

 この事件はちょっとした騒動になり、いつものようにメディアを賑わせましたが、結局のところ賀教授が処分を受けることはありませんでした。とはいえその後、彼の大学内での立場が、さらに困難なものとなったことは、想像に難くありません。これは本人に聞いてみなければ分からないことですが、彼が北大を辞める決心をした、動機の一部となったのではないでしょうか。

 

 賀教授自身は、浙江大学へ移る理由について、『南方週末』のインタビューに答え、「教授自治」をあげています。浙江大学は台湾財閥からの寄付を受け、2006年に光華法学院と名付けた法学部を新設しました。そして、新時代のグローバルな法学教育を掲げ、教授によって構成される委員会が法学院の運営に当たるという、中国の大学では珍しい管理体制を採用して、認可を受けています。党による一元的支配を原則とする中国では、大学も国有企業などと同じく、学内の党組織が管理権を行使するのが原則で、教授会による自治は採用されていません。光華法学院は教授会ではありませんが、教授によって構成される委員会が管理権を有している点で、「教授自治」を実現しているというわけです。賀教授はこの点を評価して、自らの転職を決断したということですが、「教授自治」はおそらく北大ではもっとも実現が困難な課題に違いありません。

 

 この話がここで終われば、それなりにハッピーな転身劇といえたかもしれませんが、世の中はそう甘くはありませんでした。浙江大学がその後、賀教授の受け入れを拒否するという、予期しない行動に出たのです。その理由について、インターネットなどではもっぱら、この人事を知った党の上層部が待ったをかけたため、浙江大学もこれを無視できなくなったからだ、というように伝えています。真相は闇の中ですが、賀教授は傷心のうちに北京に戻らざるをえませんでした。さらに驚くべきことは、そうして北京に戻った賀教授を、北大が再び受け入れ、復職させたことです。

 

 またまた話がここで終われば、北大法学院はさすがに太っ腹、という美談で締めくくれたのですが、そう甘くはないのが世の中というものです。北大は、新疆ウイグル自治区にある石河子大学の支援プロジェクトを行っています。石河子大学は、われわれにはなじみのない大学ですが、同自治区有数の重点大学とされています。北大に復職した賀教授は、このプロジェクトの要員として、同大学に派遣されることになったのです。派遣期間は2年間ということですが、はたして2年後に北京に戻ることは可能でしょうか。

 

 2009年12月27日に、中国政法大学で、江平元学長の喜寿を祝う会が盛大に開催されました。梁慧星、王利明教授など8名の著名な学者が祝辞を述べましたが、そのなかに賀教授も含まれていました。江平先生は、天安門事件に抗議して学長職を投げ打った、改革派として知られる民法学界の重鎮ですが、このような場にわざわざ賀教授を招いて壇上に立たせたのは、まことに彼らしい配慮と感じ入りました。

 

 

*追記

   賀衛方教授は2011年1月に、石河子大学での2年間の勤務を終え、北京に戻られました。

 

 

 

 

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