中国法入門
田中信行研究室
中国法について知ろう
裁判長の日記はなぜ公開されたのか
2010年5月21日、重慶市高級人民法院で、文強同市元司法局長ら5人の被告に対する第2審の判決があり、文被告には第1審と同じ死刑判決が下されました。
重慶市では近年、経済発展とともにヤミ犯罪組織〔黒社会性質組織〕*が急速に勢力を拡大し、市政府機関もそのターゲットになってきました。党中央は2007年末に、商務部長だった薄熙来を同市党委員会書記に任命し、その対策にあたらせてきましたが、薄書記の徹底した取り締まりによって摘発が進むにともない、ヤミ犯罪組織と官界との予想を超える癒着ぶりが次第に明らかとなってきました。とりわけ、犯罪を取り締まる側の司法機関が、ヤミ組織を保護する側に回っていた実態が相次いで暴露され、市民の驚愕、震撼、憤慨は、とどまるところがありません。
文強被告は、1992年に同市公安局副局長に昇進して以来、2009年に逮捕されるまでの16年余りにわたって、公安局局長(同党委員会副書記)、司法局局長(同党委員会書記)の要職にありながら、ヤミ犯罪組織とつながりをもち、妻を含む数名の仲間とともに、巨額の賄賂を受け取っていた、と報道されています。文被告は4月に同市中級人民法院でおこなわれた第1審で、収賄、ヤミ犯罪組織の保護、巨額の出所不明財産、強姦などの罪が認定され、死刑判決を受けましたが、これを不服とし、控訴していました。
文被告の第2審は、5月13日から公判が開始されることになっていましたが、その直前11日に、中国法院網というサイトに、第1審を担当した王立新裁判長の日記の一部が公開される**という、前代未聞の“事件”が持ち上がりました。日記といっても個人的な内容ではなく、審理を始めた1月18日から、判決を言い渡した4月14日までのあいだの6日分の、審理にかかわる業務内容を記述した、業務日誌のような内容です。したがって、一部に王立新裁判長の心情が吐露されているとはいえ、比較的淡々と経緯が記述されており、個人的な意見や主張が披歴されている内容ではありません。ですが、それはとりもなおさず死刑という結論に至る事実認定の経緯でもあり、それを記述すると自体が、その正当性の主張にほかならない,と解釈できないこともありません。
近年、中国では情報公開が進んでおり、従来は公開されなかったような情報が、公開されるようになっています。しかしこの日記が、そのような情報公開の対象になったとは考えられません。むしろ、第2審の裁判に何らかの影響をもたらしたのではないかという懸念を、中国のメディアは伝えています。
そこで問題となるのが、これを公開した中国法院網というサイトです。これはその名が示す通り、中国の法院関係者を対象とする公式のサイトで、最高人民法院が管理、運営しています。もちろん、法院関係者だけでなく、誰でもアクセスして閲覧することができます。そのようなサイトが公開したものには、それなりの権威性、正当性が付与されていると、一般には受け取られるのが自然ではないでしょうか。極論すれば、これは第1審を支持するという、最高人民法院のメッセージであるということになりかねません。
中国のインターネット上では、この日記が公開された理由、背景やその目的、合法性、妥当性などが、真偽も含めて、さまざまな憶測を呼んでいますが、少なくとも“個人的な事情”で公開されたものとは思われません。
重慶市では、文強被告に続いて、公安、検察、法院を問わず、司法関係者が、その後も次々に摘発され、司法界の腐敗の深刻さを浮き彫りにしています。司法界の腐敗は重慶市にとどまらず、全国的な問題ですが、同市の腐敗ぶりは際立っており、司法界全体に及ぼすダメージは、はかり知れません。あるいは、そうした危機意識が、この裁判長日記公開の根底にあったのかもしれませんが、後悔を重ねることになったでしょうか。
* 中国では2006年からヤミ犯罪組織に対する摘発が強化されており、これまでに1200余りの組織と9万人近い容疑者が逮捕されている。
**王立新「在审理“文强案”的日子里」。
人民大会堂大会議場で開催される全国人民代表大会
最高人民法院
2015年6月11日に、第1審判決を受けた周永康
人民大会堂大会議場で開催される全国人民代表大会