top of page

                                  中国最後の不良犯

 

 

 

 

 

 

 

 

               

                                            牛玉強とその家族(法制網)

 

 

1.人を殴って死刑に

 中国最後の不良犯(ごろつき)として知られる牛玉強は、新疆ウィグル自治区石河子監獄に収監中ですが、地元法院が現在、監獄から提出された減刑提案書を審議中とのニュースが伝えられました。(法制網、2011年5月4日) 牛玉強が逮捕されたのは1983年のことで、北京で友人とともに、通行人の帽子を奪い、ガラスを壊し、殴ってケガをさせたという行為を咎められたからです。簡単に言えば、ちょっとした喧嘩のような行為で、暴行罪、器物損壊罪にあたるとしても、実際には相当悪質な場合でもなければ、普通は処罰の対象になったりはしないものです。

 しかしながら不幸なことに、この83年というのは、中国全土で犯罪撲滅闘争が展開された時期で、ささいな違法行為も厳しく摘発、処罰されていました。

 牛に適用されたのは不良罪〔流氓罪〕という、聞きなれない罪名ですが、1979年に制定された刑法第160条に規定され、当時はこれを適用した不良行為の摘発が流行していました。牛も上記の行為に対しこの罪を適用され、84年に北京の法院で、2年の猶予期間付き死刑を言い渡されました。

 下記の刑法条文が示しているように、刑法制定時には最高でも有期懲役刑でしたが、83年に犯罪撲滅闘争を展開するため、全人代常務委員会が制定した、「社会治安事犯を厳しく処罰するについての決定」により、最高刑が死刑にまで引き上げられていたのです。

 それにしても、人を殴ってケガを負わせただけで死刑とは、驚くほかありません。しかし、さらに驚くことは、その後に待ち受けていたのです。

 

2.14年後に再収監

 牛は石河子監獄に収監されましたが、服役態度がよいという理由で、86年に無期懲役に減刑され、さらに懲役18年にまで減刑されました。その後、1990年に肺結核を患い、症状が悪化したため保釈され、北京の自宅に戻って治療していました。その間に結婚し、子供も生まれていました。牛は健康を回復しましたが、保釈が取り消されることはなく、誰もが彼は釈放されたものと考えるようになっていました。

 ところが2004年になって、石河子監獄は突如、牛を再収監したのです。さらに保釈期間中は刑の執行が停止していたと解釈し、彼の収監期限は2020年であると決定したのです。

 この決定には、誰もが驚かされました。石河子監獄は法律の厳正な適用と説明していますが、あまりにも非情な措置ではないかと、多くの人が牛に同情しました。97年の刑法改正で、不良罪が削除されていたこともあり、彼は最後の不良犯として、一躍有名になりました。本当に最後の一人かどうかは定かではありませんが、犯罪撲滅闘争で厳罰を受けた「犯罪者」の多くが、すでに減刑、釈放されている事情から、その可能性はかなり高いものと思われます。

 収監期限についての決定をめぐっては、監獄側と公安側とで見解の相違があるようです。保釈中の牛の状況を問い合わせた監獄側に対し、彼が居住していた地元の朝陽公安分局は、病気の治療が続いており、外出できない状態と回答していたようですが、監獄が派遣した調査員が彼の健康を確認し、その結果、彼は逃亡したものと認定されたようです。

 再収監後も彼は2度減刑され、現在のところ2016年がその期限となっています。

 

3.釈放は実現するか

 中国の刑法学者たちは、すでに廃止された罪で、なお服役しなければならない点については、基本的に刑法理論に沿うもので問題はないとみていますが、世論は否定的です。不良罪については、罪と罰のバランスが著しく損なわれているだけでなく、そもそもそうした罪そのものが不当であると考える意見の方が、圧倒的に優勢のようです。不良罪の不当性が削除の理由であったことを考慮すれば、その通りと言わざるをえません。

 最後の不良犯が釈放され、犯罪撲滅闘争の遺産が、ついに中国から消滅するのか、法院の決定が注目されるところです。

 

*参考資料

刑法(1979年)第60条 不良罪

 多数聚合して殴り合い、他人を挑発して騒ぎをひきおこし、婦女を侮辱するかまたはその他の不良〔流氓〕活動をおこない、公共の秩序を破壊し、情状の悪質なものは、7年以下の有期懲役、拘役または管制に処する。

 不良集団の首魁は、7年以上の有期懲役に処する。

 

  〔流氓罪〕と似た違法行為に、〔流窜作案〕(放浪犯罪)というものがあります。 これは刑法上の罪ではなく、収容審査という行政処分の対象とされた違法行為ですが、1996年の刑事訴訟法改正を機に収容審査が廃止されたため、実質的に廃止された形になっています。この問題については、下記の拙稿に詳しい分析がありますので、ご参照ください。

 

 「中国の収容審査と人治の終焉」 

   小口彦太編『中国の経済発展と法』 早稲田大学比較法研究所叢書第25号 1998年3月

 

 

 

 

bottom of page