中国法入門
田中信行研究室
中国法について知ろう
人民調停法が解決しなければならなかった難題
人民調停員の学習会(雲南省保山市隆陽区で 2011年5月)
1.制定されなかった法律
中国の人民調停制度は、建国以来、裁判外紛争解決制度(ADR)として運用され、最も活躍したとみられる1980年代には、民事紛争の約8割を解決したとされています。中国自身、世界で最も成功したADRと自画自賛しており、現在もなお民事紛争解決では中心的役割をはたしていると評価されています。ところが不思議なことに、それほど重要な制度であるにもかかわらず、これまでこれについて規定した法律が制定されたことはなく、2010年に制定された
人民調停法が、じつは建国以来はじめて成立した法律だったのです。
もう少し詳しく説明すると、まったく立法がなされてこなかったわけではありません。まず1954年に人民調停委員会暫定組織通則が制定され、1989年にはこれに替わる人民調停委員会組織条例が制定されています。2002年には「人民調停活動についてのいくつかの規定」も制定されましたが、これらはいずれも国務院や司法部が定めた行政法規で、全人代(常務委員会)が定めた法律ではありません。第11期全人代常務委員会第16回会議で採択された
人民調停法が、ようやくはじめての法律というわけなのです。
それではなぜ、このようなことになったのか、その理由を考えてみなければなりませんが、当然そこにはこの制度が抱える根本的な矛盾が存在していたからこそ、これほどまでに立法が遅れたと考えるべきでしょう。
2.民事紛争は説得、教育で
この問題を考えるためには、とりあえず人民調停制度の概要を説明しなければなりません。
人民調停とは、人民調停委員会による民事紛争の調停活動を指しています。人民調停委員会は、都市なら社区、農村なら行政村という行政区画ごとに設置されている住民委員会または村民委員会の下部組織で、地域のボランティアによって支えられています。このような組織的な枠組みは、建国から今日に至るまでほとんど変わっていませんので、詳しくは人民調停法を参照してください。
さて、そこでこのような人民調停活動のどこが問題なのかといえば、そこで成立した調停の合意に法的効力があるかないか、という点です。人民調停委員会暫定組織通則をはじめとする法規は、調停の合意については、当事者が「自発的に履行する」とだけ規定してきました。これはそもそも人民調停それ自体が、地域住民の自発的意思にもとづいておこなわれているという前提で制度設計されていましたから、これ以外の結果は想定されていませんでした。
とりわけ、毛沢東が1957年に「人民内部の矛盾を正しく処理する問題について」を著して以来、敵と味方とのあいだの矛盾は独裁(=法的強制力)の方法によって解決し、人民内部の矛盾は民主的方法(=説得、教育)によって解決する、という定式が絶対化されたため、民事紛争=人民内部の矛盾は説得と教育によって解決されなければならず、その効果が表れれば当事者はかならず自発的に合意を履行するはず、という論理が成立し、結果として強制執
行はありえないことになったのでした。
しかし現実の問題としては、やはり調停を受け入れない人や、いったん合意しても後に翻意し、自発的な履行を拒む人はいるものです。文革時代は、毛沢東思想の絶対化という政治的背景がありましたので、「自発的履行」を強要するということも可能でしたが、改革・開放時代になるとそうはいかなくなりました。そこで、当事者が自発的履行を拒む場合に強制執行できるか、という問題がにわかに重要な意味をもつようになったのです。
3.信頼するにはちょっと心配
この問題の悩ましさは、人民調停に必ずしも信頼を置くことができない、という宿命に由来します。というのも、上述したように、人民調停活動を支える委員は地域のボランティアですから、基本的には職業を持たない自由時間の多い人ということになります。実際には退職した老人や婦人などが活動の中心を担っており、中国の歴史的事情から、多くは中学卒業程度の学歴で、法律教育など受けたことのない人たちが調停に当たっているのです。ちょっとしたいさかいや日常的なもめごと、家族間の感情問題など、彼らの人生経験が活きるトラブルもあるでしょうが、改革・開放後の法整備に合わせて、ますます法的知識が必要となっていることは間違いありません。高度化、複雑化する法制度と法知識が欠如した調停員とのあいだの矛盾は、広がりこそすれ縮まる気配はありません。
しかし、法的知識の乏しい調停員による調停の合意に、無条件の信頼を置くことはできないとはいえ、 法的効力が認められないとなれば、紛争解決制度としての存在意義は失墜し、人民調停がその栄光の座を失うことは必定です。そのような調停は利用されなくなり、ほとんどが民事訴訟へと向かうことになるでしょう。じつは、中国の司法事情からすると、これもまた困りものなのです。というのも、近年はかなり裁判制度も充実し、組織的な整備もすすんだとはいえ、毎年増加する紛争に、裁判所も裁判官もなかなか対応しきれていない状況は、長く中国の司法関係者を苦しませてきました。裁判所としては、あまり重要でない民事紛争はできるだけ人民調停で解決してほしい、と常に願ってきたのです。
人民調停はいまひとつ信用するには足りないので、法的効力までは認めたくないが、法的効力がないと宣言しては、一気に民事訴訟が増えて、とんでもないことになる、という状況のなかで、法的効力があるような、ないような、あいまいな対応に終始してきたというのが実情で、法律を作ることができなかったのは、この矛盾を打破する妙案にたどり着けなかったせいなのです。
4.ひっくり返された司法解釈
じつは一度だけ、この問題を解決する思い切った決断が示されたことがあります。2002年に最高人民法院が通知した司法解釈がそれで、人民調停の合意は民事契約と同等の法的効力がある、との判断を示し、長年にわたるこの問題に決着をつけようとしました。同年に司法部が制定した「人民調停活動についてのいくつかの規定」も、この判断に従っていますが、それでも後に後悔した時は再調停、あるいは訴訟の提起が可能としており、じつのところは最高人民法院に従うふりをしているだけ、というような内容になっています。
さて、それでは人民調停法はどうかといえば、基本的には法的効力は認めない、という考え方を採用しているものと思われます。つまり最高人民法院の司法解釈は、この法律によって否定されたことになりますが、それでも最高人民法院の面目は丸つぶれ、ということでもないようです。というのも、この司法解釈が出された当時は、民事訴訟の急増に処理が追いつかず、未処理案件の堆積がピークに達していたため、最高人民法院としてはできるだけ人民調
停に回せるものは回して、負担を軽減したいと考えたのが、「民事契約と同等の効力」を認めた最大の理由、ということだったようです。今回の立法はそれから10年近くを経ており、裁判所の態勢が格段に充実したことがその背景にあると言えるでしょう。要するに、司法解釈は過渡期におけるその役割を終え、本来のあるべき姿が人民調停法に受け継がれた、というわけです。この時代になってようやく立法が実現したのも、しかるべき理由があってのこと、だったわけです。
人民調停法第33条の規定は、建国以来のこの問題に決着をつけた、まさに本法の制定意義を凝縮したような条文、と評価したいと思います。
【参考文献】
「人民調停と法治主義の相克」、岩波講座現代中国第1巻『現代中国の政治世界』、岩波書店、1989年。
「 中国における人民調停制度の改革(上)」、『中国研究月報』、1990年8月号。
「中国における人民調停制度の改革(下)」、『中国研究月報』、1990年9月号。
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