中国法入門
田中信行研究室
中国法について知ろう
指導性案例と判例の違い
1.案例と判例
2011年12月20日に最高人民法院は、指導性案例として4つの案例を通知しました。
これは2010年11月15日に、最高人民法院が採択した「案例指導活動についての規定」にもとづく最初の指導性案例ということになり、規定の公布から1年を経て、ようやく指導性案例制度がスタートすることになります。
中国では、判決の確定した裁判の先行事例を〔案例〕と呼んでいます。この案例は判例とは異なり、法的拘束力は認められず、あくまでも参考事例とされています。
中国法は、もともと社会主義法として基本的には大陸法系に属しています。成文法主義をとる大陸法は、判例の法源性について不文法主義の英米法よりも消極的ですが、社会主義法ではこれを完全に否定しています。社会主義法が判例を否定するのは、過去に拘束されてはならない、という革命史観が存在しているためです。
すなわち、社会主義社会はより高次の歴史段階を目指して発展する社会でなければならず、社会は革命の進展に合わせて絶えず変化していかなければならないのです。これに対し、判例は過去の事例を判断基準にする、という点で過去に拘束されるものであり、そのような考え方は革命に抵抗するものとして排除されなければならない、というわけなのです。
2.指導性案例
しかしそうはいっても、現実の社会はそんなに早く変化するわけではありませんから、いくら中国の変化が激しいとはいえ、1年前の事例が何の参考にもならない、ということにはなりません。もちろん制度改革が実施されたために、それ以前とは制度が変わってしまったような場合には問題ですが、そのような場合にはおおむね法律も変更されています。
じっさいには、制度改革が速く、法律の変化も激しいため、新しい法律の適用事例などを案例として紹介することが、法律の理解を深めるという面もあります。そこで最高人民法院はその公報に案例を記載したり、別途案例集を刊行したりしているのですが、これを判例とみなしているわけではありません。
ところが、2010年に最高人民法院が公布した上記の規定は、〔指導性案例〕を実質上判例と位置づけた点で、従来の原則から大きく転換したものと言えます。同規則は、最高人民法院が指導性案例として公布したものだけが指導性案例であると規定しているため、英米法的判例とは異なりますが、それでも「判例」という考え方を受け入れた点で、画期的と言えるでしょう。
3.先例判決制度
もっとも、今回の指導性案例制度は、数年前に地方の法院で実施された実験が、参考となっているものと思われます。その実験とは、2002年に河南省鄭州市中原区人民法院が始めたもので、この時には「先例判決制度」と呼ばれていました。上述のように理論的には否定されていた問題なので、この取組みはちょとした驚きをもって受け止められ、当時は大きな話題になりました。
同年、天津市も同様の制度導入を実施していますが、このほかはほとんど例がなく、これが普及することはありませんでした。ただし、中原区人民法院の場合も、裁判委員会が先例判決と認めたものだけに判例的意味をもたせるという点で、今回の最高人民法院の指導性案例と共通する手続きになっています。
あまり関係はないかもしれませんが、2004年には山東省湽博市湽川区人民法院で、〔電脳量刑〕という実験がおこなわれたことがあります。これは過去の刑事事件の判決をコンピュータでデータ化し、これをもとに量刑を自動で判定するという実験でした。これもその後、普及したという話は聞いていません。
4.何のために?
それでは、指導性案例制度を導入する目的とは、いったい何なのでしょう。これを契機として、中国は判例を法源として認める方向に転換するのでしょうか。
まず、この時期になぜ指導性案例が必要とされたか、という点ですが、これは地方法院、とりわけ基層法院の判決に少なからず問題があるという事実を、最高人民法院が深刻に受け止めていることが出発点だと思われます。つまり、中国の法律が整備され、その内容が高度化する一方で、地方法院の裁判官のレベルがこれに追いついていないため、裁判において法律が適正に運用されていないという傾向が、いよいよ顕著になっているという実態があるのです。地方法院における法解釈の誤り、判断のバラつきなどは、今に始まったことではありませんが、市民の側の権利意識が高まっている一方で、裁判官の水準がそれほど向上していない実態は、看過できないものとなっているようです。量刑の自動化なども、そうした問題への対策のひとつとして考案されたものにほかなりません。
この問題は最近の立法にも影響しており、たとえば物権法や不法行為法では、できるだけ裁判官の裁量が入り込まないように、条文はなるべく具体的な問題に即したかたちで規定する、という配慮が加えられています。最高人民法院が指導性案例制度を導入したのは、こうした対策を立法面だけでなく、裁判の場でも支えていく必要に迫られたから、と言えるのではないでしょうか。
5.役割は発揮できるか
仮に最高人民法院の意図がそのようなものであるとすれば、今回の指導性案例制度の導入が、ただちに案例の位置づけに影響するものであるかは、慎重に判断しなければなりません。
今回の通知によって、はじめて指導性案例が登場したわけですが、規定の公布からすでに1年近くが経過したにもかかわらず、わずか4件にとどまりました。 これではまだ制度がスタートしたというには、程遠い現状というほかありません。このことは、どのような案例を指導的案例とするかについて、最高人民法院が相当苦慮しているせいではないかと推測されます。
この先、はたして指導性案例制度がその役割を発揮できるのか、また判例化へ道を切り開くことになるのか、きわめて注目されるところです。
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