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                            摘発された北京市の闇監獄

 

 

 

1.警備会社が地方政府と契約

  2010年9月24日の『南方都市報』は、北京市公安局が、安元鼎警備会社の 会長と社長を拘束した、と伝えました。この警備会社は、いくつかの地方政府と契約し、北京に陳情に訪れた市民を拉致して、市内数ヵ所に設けた収容施設に監禁していた容疑が、明らかとなっています。

  じつは北京市内に、このような “闇監獄” と呼ばれる違法な収容施設が存在することは、人権保護団体などが数年前から指摘し、当局に対処を求めていましたが、当局はなかなかその事実を認めませんでした。ところが2009年11月25日、中国共産党系の権威ある雑誌『瞭望』が、その調査報告を掲載し、存在を公認したため、いつその摘発が実施されるか、注目が集まっていました。安元鼎社の捜索まで、1年近い時間が経過しましたが、これはまだ氷山の一角とみなされていますので、今後さらにどこまで解明が進むか、見守りたいところです。

 

2.陳情人を拘束 

  『瞭望』が明らかにしたところによれば、地方の省、市が北京市内に設置していた闇監獄は73ヵ所あり、そのうち57ヵ所は地区級市のものだったということです。46ヵ所は農民などから借りた家屋を改造したもの、27ヵ所は宿泊施設を転用したものだということです。それではいったい何のために、地方政府はこのような施設を設けていたのでしょうか。

  北京には毎年、地方から多くの陳情人が訪れます。これは地方政府の対応や裁判の判決に不満を持つ人々が、地方では問題を解決できないときに、最後の手段として、北京にある陳情受付の窓口を訪れるからなのです。しかしこのことは、地方の政府や裁判所にとっては、愉快なことではありません。まず不名誉なことですし、自分たちの能力に疑いをかけられかねません。もし処分や判決の内容に非があると認められたりすれば、大変なことになってしまいます。そこで地方政府は、自分たちの身の安全を守るため、これら陳情人を拘束して、陳情させずに地元へ送り返そうとしている、というわけなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

                 

                               摘発された四環路近くの闇監獄。 『南方都市報』

                    

 

  地方から陳情に上京する人たちの多くは、貧しい人々です。北京に来ても、すぐに対応してもらえるとは限りませんから、滞在が長期化する場合もあります。2003年以降、陳情人が急増し始めたことから、地元政府が北京の駐在事務所や宿泊施設を、一時的にこれら貧しい陳情人のために開放したことが、闇監獄を生み出すきっかけになったといわれています。

  『瞭望』が指摘するところによれば、地方政府が陳情人を拘束して地元に送り返す方法としては、一般的に以下の3種の方法がとられているそうです。

 ① 北京駐在事務所の職員を動員して、直接自ら用意した施設に収容する。

 ② 警備会社などと契約して、業務委託する。

 ③ 失業者などを雇い、個別に業務委託する。

 安元鼎社の場合は、②のケースにあたります。

 

3.北京駐在事務所の廃止

  2010年1月、国務院は、県級地方政府の北京駐在事務所を、半年以内にすべて廃止するとの決定を伝えました。ただし、省級政府については保留し、地区級市については弾力的に対処すると伝えています。北京駐在事務所はもともと、地方の予算獲得、陳情などのために設けられるようになったものですが、最近では汚職や腐敗の温床になっていると批判されており、この措置はそうした批判にこたえたものです。そこではさすがに闇監獄の存在までは問題にされていませんでしたが、この決定が闇監獄の解消に何らかの影響を及ぼす可能性はあるでしょうか。

  それにしても、中央政府のおひざ元で、地方政府機関がこのような違法行為を日常的におこなっていることは、驚きというほかありません。しかも、その事実が明らかにされたにもかかわらず、一つの事件として処理されようとしていることも、さらなる驚きです。

 それとも、こんなことは驚くに値しないことなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

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